宮崎県都城市の郡元西原遺跡で、平安時代末(11世紀後半―12世紀前半)の大規模な溝跡が見つかった。当時、国内最大の規模を誇った荘園「島津荘」の経営拠点だった荘政所を取り囲む堀の一部とみられ、市教育委員会は「謎が多かった島津荘の経営実態を知る手掛かり。荘政所の構造を明らかにしたい」としている。 遺跡の一帯は平安時代の土地台帳「日向国図田帳」に「島津院」と記され、荘政所があったと考えられていたが、遺構が確認されたのは初めて。 見つかった溝は深さ約1.5メートル、幅約3.5メートル。非常に丁寧なつくりで途中から直角に曲がっている。