《客家》Hakka (ハッカとは福建省南部の語での呼び方。普通語では、kejia)とは、もともと華北の黄河流域、「中原」と呼ばれる地域(河南省洛陽あたり)に住んでいた、漢族の「名門貴族」の子孫とされている。「客家語」は、かつて中原地方で話していたとされる、北方中国語の古語、が定説になっている。 西晋の末期~西晋が滅んだ(西暦316年)頃、居住地である「中原」を北方騎馬民族に追われた。この《戦争難民》のうち、富裕層に属していた「名門貴族」や富豪らは、絶え間ない戦禍を逃れるため一族共々、唐時代にかけて、揚子江(長江)を越えた。 第一次移住(317~879年)の定住地は、華南の安徽/江西省の北部の山間部だった。 だが唐時代の末期になると、農民蜂起による戦乱がおこったため、客家人は、第二次移住(880~1126年)を余儀なくされた。この時の定住地は更に南下した江西省東南部、福建省西部。 漢民族の王
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