米軍「本部飛行場」 概容 1945年6月27日 - 住民の強制移送 1945年7月1日 - 本部飛行場の建設開始 8月4日-9月25日 - 第五空軍司令部の設置 米軍「本部補助飛行場」- その負担は誰が担うのか 1980年 - 海自アズオック基地建設計画 2009年 - 地元への土地返還 米軍「本部飛行場」 概容 本部飛行場は沖縄戦のさなかの7月1日から日本進攻を目的として陸軍工兵隊と海軍建設大隊によって建設された。それに先駆け、本部の住民は、6月25日に移動命令が出され、6月26日からもっとも運営状態の酷かった民間人収容所のひとつ、辺野古の大浦崎収容所や田井等収容所に移送された。約2キロの滑走路2本を備え、主に第5空軍隷下の飛行隊が1945年10月に本土に移動するまで使用した。その後は、弾薬集積場、また後年には海兵隊のヘリコプターや戦車等の演習地として利用されたが、復帰前1971年に「返