トニーニョこと、アントニオ・ベネディッド・ダ・シウバトニーニョはJリーグ草創期を華やかに彩った外国人選手の1人だった。 トニーニョは1965年、サンパウロ州のカンピーナスで生まれた。頭角を現したのは、同州のジャウーにある、キンゼ・デ・ジャウーというクラブの下部組織だった。 サッカーに多少詳しい人ならば、このクラブに聞き覚えがあることだろう。そう、三浦知良が所属していたクラブである。 トニーニョを日本へ導いたキング・ファーザー 「カズとぼくはキンゼのジュニオール(18歳以下)の一員としてタッサ・サンパウロという大会に出場した。確か初戦を落としたはずだ。そこで監督がメンバーを大幅に入れ替えたんだ。そこで控え選手だったカズが入った。ぼくはずっとレギュラーだったので、緊張した面持ちのカズに“落ち着け”と声を掛けたことを覚えている」 その後、トニーニョは85年にポルトゲーザのトップチームとプロ契約を
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