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福嶋亮大に関するkeepfineのブックマーク (2)

  • 『うみねこ』とジャンルの問題 - 仮想算術の世界

    相変わらず朦朧とした頭で、昨日ようやく『うみねこのなく頃に』のep.3をプレイ。やはり竜騎士さんの着想は凄い。よくこんなこと考えるなぁという感じ。 この作品のコンセプトは明快で、ep.1から記されていたように「推理は可能か不可能か」というものです。具体的には、ある殺人事件を人間が犯した事件として、つまりはミステリとして読み解くか、それとも非現実的な魔法が跋扈するファンタジーとして読み解くか、そのふたつの解釈が対立しているわけです。通常のミステリが真実に到達することを目指し、通常のアンチミステリが推理(真実への到達)の不可能性を描くのに対して、『うみねこ』はそもそもミステリが可能となる「条件」を描こうとしている。 これは、ある局面をファンタジー化するパッチを当てて処理するか、それともミステリ化するパッチを当てて処理するかという違いに相当すると考えられます。『うみねこ』の錯綜した舞台をふつ

  • ネーション抜きの想像の共同体? - 仮想算術の世界

    いつの間にか更新が空いてしまいました。書きたいことは色々あったはずなのですが…。 とりあえず、『メイキング・オブ・ピクサー』という書評を書きました。ちょうど宇野さんが『新潮』の今月の連載でピクサーについて書かれていたので、図らずも同期しています。 えーと、後は何だろう…。そういえば、イオシスの「チルノのパーフェクトさんすう教室」を中国各地で踊ってみるという動画がしばらく前にニコ動で上がってるのを発見したのですが(笑)、こういう現象はけっこう面白い。何というか、記号消費のステージも国境を越えて着々と進んでるなと思います。 実際、アニメ声優やアイマスなんかがわかりやすいですが、「私」の肉声を一度取っ払ってしまった非人間的でデータベース的な「声」のほうが、かえってより遠くに届くということが、現在の文化では起こり得る。「チルノのパーフェクトさんすう教室」が中国でも受容されるというのは、ま

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