1985年、8月12日18時56分。JAL123便が“御巣鷹の尾根”に墜落したとき、私は大学生だった。その後、ANAに入社したわけだが、「JALに追いつけ追い越せ!」という時代に、ANAのCA(客室乗務員)、キャプテン、コーパイ(副操縦士)さん、FE(フライトエンジニア)さん、整備さん……、たくさんの先輩たちから、123便のクルーが最後の最後まで、どうにかしてお客さんたちの命を守ろうと必死だった、と聞かされた。 アノ飛行機の中で、CAたちはひたすら懸命に自らのミッションを全うすべくお客さんと向き合っていたと、幾度となく聞かされたのだ。 機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」 機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」 副操縦士「コントロールがいっぱいです」 これは数年前、公開されたコックピットで格闘する機長たちの声。JAL123便の高濱雅己機長(当時49歳)と佐