「積ん読」という言葉は英語にはないらしいという話題を先日見かけ、いや、英米人でも、未読の本を積んでおくことはあるだろうと思い、いやいや、「積ん読」というのはあれで、未読でもない、一種の読書形態なんだよなと思い返し、そして、そういえば、と積ん読山から既読山に目を移して、『セラピスト(最相葉月)』(参照)を見かけ、うーんと呻ってしばし。 何を思ったかというと、ブログに書こうかと思いつつ、まだ書いてないのだった。こういう本はなんというのだろか。「未ブログ読」だろうか。 『セラピスト(最相葉月)』は、「心の病」に現代日本人が向き合うとき、向き合われる側――それがつまり「セラピスト」――はどのようにノンフィクション的に描くことができるだろうか、という本である。まあ、とりあえずそう言ってよいだろ。本の概要にも「心の病いは、どのように治るのか。『絶対音感』『星新一』の著者が問う、心の治療の在り方。うつ病