国号についての駄文 三国志という書名は「魏書」「蜀書」「呉書」の3つの歴史書を合わせたところから来ている、というのは別項で述べた。が、その書名がそのまま国の名前である、というわけではない。少なくとも「魏」「呉」「蜀」という国名は、現在の我々がそう呼んでいる名前というだけであって、そもそも国を建てた当事者である曹丕や劉備・孫權にとっては、意識は別であった。少し国号について整理してみましょう。 ☆国号は他国との区別 そもそも「国号」というのは何の為にあるのかというと、他国と自国を区別するためにある。また、自国民を一つにまとめるためのものである。ゆえに、世の中(天下)に国が1つしか無い時には必要が無い。複数の国家が並立したときに初めて必要となるものである。支那において、国号が最初についたのは「周」である。もっとも史書によれば、それより以前に唐・虞・夏・商(殷)という国があったことになってい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く