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震災に関するkaitosterのブックマーク (16)

  • 311に寄せて

    忘れちゃならん災害だけど、今日あえて書きたい。 311の地震があった当時、まだ子どもだった私は兄と父方の祖父母を亡くした。友達も亡くなった。 親戚や母方の祖父母の協力もあって大学まで進学でき、就職もしたが、あの地震と津波は子どもの私のアイデンティティに影響を与えた。 大学は関東に行ったが出身地について話すと(ああ、津波の…)みたいな反応があったし、これからもそういう印象を持たれ続けるんだろうなと思っていたし、311のことを忘れてほしくないからそれで良いと思っていた。 今でも思い出さない日はないし、地震や津波に対する意識が低いというか、当事者意識のない人に苛つくこともあった。自分だって被災するまで当事者意識の欠片もなかったのに良いご身分だとは思っている。 関東で就職した。 就職して半年くらいの頃に出張で関西の支社に行った。上司に連れられて関西支社の人たちと話して、軽い自己紹介の折、出身地とか

    311に寄せて
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    kaitoster 2023/03/12
    震災の数年前に陸全高田に教習合宿に行っただけだが、3週間過ごした陸全高田の街が津波で消滅したというのはショックだったな・・・。
  • あれからもうすぐ10年…被災地の写真スタジオに勤めていた方の被災経験「『遺影写真』を作る」を綴ったマンガが胸に刺さる

    よっしー💐☀️🍄 @yyyyoshis 震災から3年経ったぐらいに東北にボランティア行ったことあるんだけど、その時に出会った小さい女の子の事をずっと忘れられない。あんなに小さい身体と頭にはどんな体験がつまってるのか。大きくなってるかなぁ。どこの誰なのか名前も知らない女の子。 twitter.com/setup_setup/st… 2021-02-12 12:35:01 とっち @happushi 震災だけにとどまらず、辛かったことに「終わった」ということは無いんですよね。 10年経ちますが未だに悲しみは深く、避難した方は様々な問題をずっと抱えていて、感覚が鈍くなっても事実は無くならないと言うことを再認識しました。 twitter.com/setup_setup/st… 2021-02-12 12:33:44

    あれからもうすぐ10年…被災地の写真スタジオに勤めていた方の被災経験「『遺影写真』を作る」を綴ったマンガが胸に刺さる
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    kaitoster 2021/02/13
    あの日は会社の駐車場に避難していたなあ。20分くらい地面が延々と揺れ続けて、晴れていた空がみるみる曇って行ってえらいことになったなあと思っていた。
  • 本好きで読書家の男性、本棚の下敷きに 死亡の85歳:朝日新聞デジタル

    「助けてください!」。後藤さんと同じ6階に住む自営業の和田秀之さん(65)は、地震発生直後に女性の声を聞いた。助けに後藤さんの部屋に入ると、幅約1メートル、高さ約1・8メートルの木製の棚が倒れ、が散乱していた。別の若い男性と2人で棚を起こしたが、下にいた後藤さんの意識はすでになかったという。茨木署によると、後藤さんはと2人暮らし。は別の部屋で就寝中で無事だった。 近所の人たちは、後藤さんが道を歩きながらを読む姿を覚えている。同じ6階に住む女性(83)は「読書家だったから、棚に囲まれて暮らしていたのだと思う」。和田さんは「好きで、『やさしいおじいちゃん』という印象の人だった。ショックです」とうつむいた。 後藤さんと40年来の付き合いがあるという2階に住む女性(82)は、と仲良く買い物に行く姿もよく見かけたという。6階に住む田中秀雄さん(47)は、あいさつすると、いつも笑顔で

    本好きで読書家の男性、本棚の下敷きに 死亡の85歳:朝日新聞デジタル
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    kaitoster 2018/06/19
    東日本大震災の時にも同人誌に圧殺されて死んだ腐女子の人いたような・・・。
  • 震災漂流物:289種の生物が付着 北米にたどり着く | 毎日新聞

    東日大震災の津波で太平洋に流れた漂流物に付着し、289種の生物が生きたまま日から北米西海岸やハワイにたどり着いていたと、米オレゴン州立大学などの研究チームが29日付の米科学誌サイエンスに発表した。自然に分解されないプラスチックなどの漂流物に付着することで、長距離移動が可能になったと分析している。 研究チームは2012~17年、北米大陸西海岸やハワイに漂着した船舶やブイなどの634品を調べ、貝類やヒトデ類、イソガニ、イシダイなど日の生物289種を確認した。

    震災漂流物:289種の生物が付着 北米にたどり着く | 毎日新聞
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    kaitoster 2017/09/29
    人間以外の生物には有害でしかないと思われたプラスチックが長距離移動用の舟として使われるとは。
  • 熊本刑務所が避難者受け入れ 初の試み、水や食料は十分 - 共同通信 47NEWS

    刑務所(熊市中央区)が施設の一部を開放し、地震で被災した近隣住民約150人を受け入れている。法務省によると、刑務所が災害時に住民の避難場所になるのは初めて。同省幹部は「水や料が十分にあり、避難者がいる限りケアを続けたい」と話している。 法務省によると、熊県益城町で震度7を観測した翌日の15日夜に職員用の武道場を開放。周辺は住宅が密集し、当初はそこまで多くなかったが、16日未明の地震後に地域の人が一気に訪れ、一時は約250人が身を寄せた。福岡や山口、広島から職員が応援に入り支援に当たっている。 刑務所自体は、外塀にひびが入ったり、作業場の蛍光灯が落ちたりしたものの、人的被害や受刑者の混乱はなかった。刑務所は災害救助法の適用外のため非常を多く蓄えていたほか、水は井戸水を使っていたため、避難者が料や水に困ることはなかった。中には、会員制交流サイト(SNS)の投稿で井戸水がもらえると

    熊本刑務所が避難者受け入れ 初の試み、水や食料は十分 - 共同通信 47NEWS
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    kaitoster 2016/04/19
    刑務所「避難民250名を収容しました」
  • 福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに

    福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
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    kaitoster 2016/03/12
    3号機建屋前は未だに毎時200マイクロシーベルトの衝撃・・・。
  • 3月11日に卒業祝い給食は非常識? 吉川の中学校で賛否、市教委は困惑 (埼玉新聞) - Yahoo!ニュース

    吉川市の中学校の給で、「卒業お祝い献立」があす11日と重なり、教職員から「震災のあった日にお祝いなんて非常識」という声が一部で上がっている。市内には中学校が3校あり、3年生の卒業を祝う最後の給には赤飯などが並ぶ予定。学校現場からの声に市教委は「既に献立も各校に配布しており、材料も発注している。変更は極めて難しい」と困惑している。 吉川市の中学校では毎年、給提供の最終日に卒業お祝い献立を提供している。今年は15日が卒業式で、土日を挟むため11日が最後の給になった。献立は栄養士、市教委の職員、学校給センターの所長など20人以上で構成する研究協議会で決めているが、市教委によると、3月の給を決めた際、異論は出なかったという。 しかし、市内の中学の男性教諭は「献立は3月に学校に配布され、市教委に日にちの変更を求めてもなしのつぶてだった。生徒に説明できない。鎮魂の日で祝う日ではない」と

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    kaitoster 2016/03/10
    終戦記念日と関東大震災と阪神・淡路大震災と東日本大震災の日は日本国民全員断食が義務だな!
  • 首つったおやじ、無駄死にさせたくねえ 福島の農家:朝日新聞デジタル

    土と生きる豊かな暮らしは、あの日、一変した。福島県須賀川市で農業を営む樽川和也さんは、東京電力福島第一原発の事故後まもなく父親を自死により失った。田畑も放射能で汚染された。東京で20日公開のドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」で苦悩を訴えている。もう取り戻せない、償うことなどできない現実を聞いた。 ――事故から5年。いまの状況を教えてください。 「放射能は、こっちの中通りにも降りました。田んぼも畑もビニールハウスも、みんなやられて、うぢらは職場を汚染されたんです。だけど、東電は資産への賠償をしたわけでもねえ、放射能を取り除いたわけでもねえ。ただ、5年の月日が流れただけ。たーだ被害かぶって苦しんで、うぢらはいったい、なあんなのって」 「精神的な慰謝料として事故の年に8万円、翌年に4万円はもらいましたよ。ただ、それだけ。12万円で、あとはもう黙ってろ、自然に放射能さがんの待ってろっつうことで

    首つったおやじ、無駄死にさせたくねえ 福島の農家:朝日新聞デジタル
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    kaitoster 2016/02/20
    「実際、コメは売れてますよ。外食産業とか病院とか、福島県産とわがんねえところで。表には出ねえだけで、すごい量が動いてんの。福島のコメは。だから外食産業の人らは、いいみたいです。うまいコメを安く買えて」
  • 日本人のみなさんへ。台南地震へ募金なんかするより、台南人がもっと喜ぶ応援方法を台南在住のぼくは伝えたい - あしたはもっと遠くへいこう

    今回台湾の南部で地震があって日から募金が集まっているみたいなんですが、極論を言っちゃえば、別に募金しなくてもいいんじゃないの? と、いま台南市に住んでいるぼくは思うんです。 こんにちは!2015年12月に台湾の南部、台南に引っ越してきたまえちゃん@Maechan0502です。 さて2016年2月6日午前4時未明。台湾の南部で地震があったことは日でもニュースが報道されました。 ネガティブなニュースで台南が取り上げられるのは住んでいる人間として残念なのですが……、ただ台南に住んでいる人間として日の報道や友人からのメッセージでぼくは違和感を覚えたんです。 [関連記事] 3.11で台湾が1世帯あたりいくら日に寄付してくれたか、あなたは知ってますか。 いや、今回の台南の地震の被災状況って、東日大震災と比べ物にならないくらいの微弱な影響なんですよ。 [関連記事] 台湾南部地震がありましたが、

    日本人のみなさんへ。台南地震へ募金なんかするより、台南人がもっと喜ぶ応援方法を台南在住のぼくは伝えたい - あしたはもっと遠くへいこう
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    kaitoster 2016/02/08
    台南に大難なし。
  • 福島第1原発での作業員“体験”を描く漫画『いちえふ』、原作者「デマは否定したい」

    東京電力福島第1原発で作業員として働いていた漫画家・竜田一人氏が描く原発ルポ漫画『いちえふ』。昨年、新人賞MANGA OPENの大賞受賞作として「モーニング」に掲載され、国内外で大反響を呼んだ作がついに単行化された。第1巻の発売に際して、竜田一人氏に取材する機会を得た。

    福島第1原発での作業員“体験”を描く漫画『いちえふ』、原作者「デマは否定したい」
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    kaitoster 2014/05/19
    「震災以降、真実という言葉が安っぽくなってしまいました。真実なんて"お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな"というレベルの言葉にすぎません」
  • ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    東日大震災から3年。震災直後にビートたけし氏が『週刊ポスト』誌上で語ったインタビュー記事「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」は、当時大きな反響を呼んだ。その言葉は、震災から3年が経過した今でも色褪せることはない。著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)にも収録されている当時のたけし氏の言葉を、あらためて全文公開する。 * * * なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。 ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。 だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ

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    kaitoster 2014/03/11
    『今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ』
  • 震災からの1年、これからの1年 - goo

    震災からの1年、これからの1年 - goo
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    kaitoster 2013/01/11
    ジャズのお店復興の話は新聞かなんかで読んだな・・・。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

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    kaitoster 2012/08/15
    『この日、ぼくは、自分の人生において、もっとも悲しい出来事と、接点を持った。あとからあとからあふれてくる涙をふきながら、車のいちばん後ろの座席で、これを「悲しみの基準」にしようと、ぼくは思った。』
  • 震災の時に親父が撮った写真うpってく : snap速報

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    kaitoster 2012/07/19
    フィルムだと20年くらいたつと劣化してくるんだね・・・。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼三菱自動車販売 篇

    15年前、市が4億、県が3億、 わたしたちみんなで3億円を出しあって 「産業センター海の市」 というお土産センターをつくったんです。 当時の市長さんが、社長になって。

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    kaitoster 2012/03/12
    「取次店の社長と懇談したとき、この地域の書店を潰してはいけない‥‥と、言ってくださったんですね。 で、津波で流された本、全額、補填されることになったんです。」
  • 【東日本大震災】マンモス避難所 スタッフ“悲鳴” トラブルも表面化+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災で、いまだ500人以上の人が避難生活を続ける学校や体育館といった“マンモス”避難所の運営問題が表面化している。援助物資や情報が集まるなど、震災直後には強みを発揮した大規模避難所も人の出入りが激しいゆえのトラブルが目立つようになった。避難所運営は転換を迫られている。 「人が足りない、ものが足りない、ないないの中でなんとかやっていかないといけない」 約650人が避難している岩手県陸前高田市の市立第一中学校。運営組織は避難者で自然に構成された。スタッフの山崎亮さん(26)は津波で家が流され、母親が行方不明となっている。山崎さんら約25人が震災後から交代することなく、避難所の運営に当たっている。 1回に1500人分を作る事の手配や救援物資の管理など、まさに睡眠時間を削ってさまざまな対応に当たっている。避難者同士の救援物資の配給をめぐるトラブルを解決したり、夜間パトロールも行っている。

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    kaitoster 2011/04/08
    日本の空いている温泉地とかでしばらく暮せないもんかね・・・。
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