au one netのブログサービス 『LOVELOG』は2014年6月30日をもちまして提供を終了致しました。 永らくのご利用、誠にありがとうございました。 引き続きau one netをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※お手数ではございますが、新ブログにて閲覧の皆さま向けにブログURL変更等をご周知いただけますよう、お願い申し上げます。
ここしばらくの女子力に関する話題を見ていて、一分のスキもなく完璧にセットされて男からの評価を得ることに特化した女性って、文字通り『武装』(これは所謂スイーツ的な人であるか、それともヲタ受けしそうなタイプか、は問わない)してる感じがするよなーってのをとりとめもなく思った(この人なんかレオパルト2っぽいなー、的な。) そういえば、そういう人と身近に接すると、なんか射爆場で戦車砲の標的にされてるような気分になる。すんげえ速度で機動して、車体がめっちゃ揺れて見えても、砲身は完璧にスタビライジング。一ミリのブレなく、秒速1700mの熱視線で、あなた如きはいつ何時でも赤子の手を捻るみたいに殺せるんだよ、という本気が伝わってきて。 なんていうか、装甲系女子? てか、俺、死ぬの?みたいな。ええ。死ぬんですけど。精神的に。 もちろん、そう感じるのは、受け手側たる自分の貧しい女性経験・アワレな心象が大いに投影
●男の娘● 今本当に「男の娘」が、ものすごい勢いで愛されていますね。 最初期作品が何かは分かりませんが、「ストップ!!ひばりくん」は外せないでしょう。一般化したのは「ギルティギア」シリーズのブリジットでしょうか。あとは「バーコードファイター」も欠かせないですね。 その後たくさんの作品に出てきますが、たいていの場合出てくる度にそこそこ以上の人気を獲得するすごいジャンルです。 こと今に至っては「こんな可愛い子が女の子のはずがない。」「むしろ男がいい」と言われるほどになっていくわけです。アイマスDSに至っては、秋月涼が男の子と判明してから売り上げが伸びる(ただし、アマゾン上での話なので片寄りあり)という異常事態が発生しています。日本終わった?いえいえ、始まったんじゃないかなむしろ! これが「オカマ」と書くと一気に雰囲気が変わるから奇妙なモノ。女装少年を「オカマ」というのはタブーみたいな雰囲気すら
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
このところ読み返している何冊かの内の一つで、遙洋子さんが男女共同参画社会基本法をこんな風に表現していた。これはみんなで平等になりましょう。で、平等というのはね、という法律だった。そして気づいたことがある。それは、平等というのは、平等を定義しなければならないほど、人は平等がなにかわからないということだった。「平等はいいことだ」はわかっていても、じゃあ、なにが「平等?」と聞かれて、いったいどれぐらいの人がそれにこたえられるだろう。(略) なにが平等かを定義することとはつまり、なにが平等でないかを指摘することから始まる。 そうして、2001年の正月に、遙さんはこの法律に関するテレビ番組に出演し、旧知の番組スタッフに問われたいう。「で……どうしたらよろしいのん?」 「え?」 「いや、だから、基本法の理念はわかるんですが、で、……僕らどうしたらよろしいの?」 彼らは下請けのスタッフだった。つまり、市
欲望のコード―マンガにみるセクシュアリティの男女差 (ビジュアル文化シリーズ) 作者: 堀あきこ出版社/メーカー: 臨川書店発売日: 2009/06/01メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 194回この商品を含むブログ (13件) を見る こちらのコメントの最後でもちょっと触れたが、レディコミ、TL(ティーンズ・ラブ)、ヤオイ(男性の同性愛恋愛を扱ったコミックの総称として、二次創作作品「やおい」と区別して表記)についての分析を通じて、女性のセクシュアリティ、性欲のあり方を論じている。つい最近出たばかりの本。先ほど読了。 以下、出版社のHPの紹介より。 日本において、女性のための性を描いた恋愛コミックは、一市場を築く商品ジャンルとして確立している。本稿はこれら〈性的表現を含む女性向けコミック〉の比較分析を通し、メディアの受け手である現代女性がどのような作品を望んでいるのか、また、どの
⇒はてなブックマーク - minori kitahara column 北原みのり氏の文章を久しぶりに拝見した。「模範的被害者」「非の打ち所のない被害者」というものを世の中は求める。その場所から減点法で個別の被害者の「落ち度」や「非」をカウントする。それは権力の作動で、「犠牲者は無垢でなければならない」すなわち無垢にあらずんば犠牲者にあらず。だから世の中が一方的に押し付ける「犠牲者」という観念は、個別の被害者にとって、スティグマでしかない。 社会は観念としての「犠牲者」を必要とする。その犠牲者は無垢でなければならない。硫黄島に星条旗を立てた兵士が雄々しく戦った国の英雄でなければならないように。「犠牲者」の存在は環の一端でしかなく、その権力の環から外れた者は誰も守らない。男女の仲は文脈に規定される。関係性は、そうした男女の仲を規定する文脈をずらしていくものとしてあるが、しかし男女の仲は今なお
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