Tweet 公益社団法人日本プロサッカーリーグはベガルタ仙台に対し下記のとおり懲罰を決定しました。 1. 対象事案 【事案1】 2023年6月11日にユアテックスタジアム仙台で開催されたベガルタ仙台vs.ジュビロ磐田の試合終了後、同スタジアム駐車場において、100名を超えるベガルタ仙台のサポーターが、同試合中にジュビロ磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスを不満として、立入禁止区域に侵入した上、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇しながら、ジュビロ磐田の選手らが乗車したバスを取り囲み、同バスが同スタジアムを出発するのを妨げた。 【事案2】 2015年12月から2023年6月16日までの間、ベガルタ仙台の元社員(以下、「元社員」という)が、顧客からチケット等の代金として受領した現金及び顧客に販売するためクラブから交付を受けたチケット等合計約1,100万円分を着服して横領した。 2. 懲罰理由
沖縄SVをご声援いただきありがとうございます。 このたび、髙原直泰選手が2023シーズンをもって選手を引退することになりましたのでお知らせいたします。なお、弊社代表取締役としてクラブを、監督としてトップチームを引き続き引率してまいります。 髙原直泰選手コメント 「今季で選手を引退することにしました。ここまで多くの方々に支えられて選手を続けることができ、幸せな選手生活でした。本当にありがとうございました。選手としての残りの時間を全力で楽しんでいきます。 チームは現在、苦しんでいる状況ですが、監督、選手として精一杯戦っていきます。今シーズンを終えるころに皆様に改めて詳しくお話する機会をつくりたいと思っておりますので、引き続き皆様のサポートをよろしくお願いします。」 所属チーム歴: 三島山田 - 東海第一中学校 - 清水東高校 - ジュビロ磐田 - ボカ・ジュニアーズ - ハンブルガーSV -
天皇杯で暴力や破壊などの危険行為に及んだ浦和レッズの一部サポーターが、日本サッカー協会やJリーグ、クラブに対し、暴徒化の直後にも「脅迫」と取れる発言をしていたことが28日、分かった。2日の天皇杯4回戦(対名古屋、CSアセット港サッカー場)で完敗し暴れた後、事態が収まってからも、追加処分があれば再び暴れる旨の声が応援リーダーからあったという。 【写真】改善された緩衝帯を境に試合を待つ浦和サポーターと名古屋サポーター 愛知県警からパトカー10台以上、警官も約50人が駆けつけて事態を収めた後だった。関係者によると、会場内の一室に協会、Jリーグ、両クラブ、両サポーターの代表者3人ずつが集められ、確認し合った。そこで「現段階では(人に対して殴る蹴る等、直接の)暴力行為は確認できなかった」と暫定の結論が出た。その直後、浦和サポ側から(1)サポ同士は和解した(2)追加処分があれば再び暴れる、旨の主張があ
優勝したスペインに唯一、勝利を収めた日本。写真は先制点を決めた宮澤ひなた photo by Reuters/AFLO 日本は日本を知らない。今回の女子W杯を通して、私は強くそう思った。 Jリーグ発足当時からずっと日本のサッカーを見てきた筆者は、近年のその成長ぶりに驚いている。ブラジルでは昔、ヘタなプレーをすると(大変失礼ながら)「おい、日本人みたいなプレーをするなよ!」と言っていた。しかし今、そんなことを言う者はひとりもいない。 【写真】優勝したスペインからも!女子W杯で注目の「美」フットボーラーフォトギャラリー 1993年、男子の日本代表は世界ランキング66位だった。それが今やどうだ。世界20位でW杯常連国。第9位にまで上り詰めたこともあった。中国もインドも、どんなに大金をつぎ込んでも自国サッカーを強くすることはできていない。今、世界中のスターを爆買いしているサウジアラビアだってそうだろ
2023年8月2日(水)にCSアセット港サッカー場にて行われました、天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会 ラウンド16(4回戦) 名古屋グランパス戦において、浦和レッズサポーターによる違反行為が発生いたしました。 大会出場クラブとして、自クラブのファン・サポーターに対し秩序ある適切な態度を保持するよう努める義務を負う立場でありながら、この様な事態を招くこととなり誠に申し訳ございません。 関係される全てのみなさまに、心よりお詫び申し上げます。 事案発生直後より、大会主催者である日本サッカー協会様など関係各所と共に事実確認及び認識確認を実施してまいりました。 弊クラブといたしましては、如何なる背景があろうとも違反行為が肯定される理由はなく、クラブ理念内に「安全・快適で熱気ある満員のスタジアム」を目指すことを謳っている私どもの価値観とは相容れない事象であると考えており、行為者への処
サッカー元日本代表でドイツ1部リーグのフランクフルトでプレーする39歳の長谷部誠選手が、クラブとの契約を1年延長して来シーズンも現役を続けることを明らかにし、「ピッチの上で自分の価値を示したい」と意気込みを語りました。 ワールドカップ3大会連続で日本代表のキャプテンを務めた長谷部選手は、39歳となった今シーズンドイツ1部リーグのフランクフルトでプレーを続けています。 長谷部選手は21日、東京都内でクラブの幹部とともに会見を開き、40歳を迎える来シーズンに向けてクラブとの契約を1年延長して現役を続けることを明らかにしました。 今シーズン、長谷部選手はドイツ1部のリーグ戦10試合に出場していますが、ヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦の2試合にはいずれも出場せず、チームは敗退しました。 長谷部選手はこの経験が現役続行の理由の1つになったとして「試合に敗れたこととピッチに立てなか
地元にいた頃、ど田舎にポツンと新しくできたローソンのロッピーでチケット買って、サッカー見に行くのが好きだった 真新しい店内で、ピッピッて押してチケットが買えるのは革命だった…! 楽しかったなぁーあの日々。ロッピーのためにローソンに通った。まんまとおにぎりやお茶、雑誌も買って、あの店が都会へのドアだった。 今は海外にいるのでサッカー見れなくなってしまった(あんまり人気ない)。W杯はさすがに見れるけど…。有名な選手しかいない。地元の選手が見たいんだ〜。 Twitterとかでスーパーゴール!とかあってうおお!って見ようとしても海外IPは遮断されてて見れない! NHKワールドでサッカーのニュースが流れても試合映像は海外では流してくれない!! 見れるのはYouTubeのハイライトだけ。あと、クラブの公式動画で練習風景とかも見てる。選手バスでふざけてるところとかもインスタに載せてくれる。でも試合は見れ
リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko 生前、ブラジルに大きな贈り物をしてくれたサッカーの王様ペレ。彼の死は少なくとも3つのことを明白にした。ブラジルという国がいかに偉大な功績を残した者に対して薄情か、ブラジルの選手たちがいかに傲慢であるか、そしてブラジル人がいかに彼を愛したか――だ。 まず、何より信じられないのは、ブラジルがペレのために、国として何もしなかったことだ。お隣のアルゼンチンでは、ディエゴ・マラドーナの死後、国葬を開いたのに、ブラジルは、ただ3日間、哀悼の意を示したのみだった。 ペレの棺はサントスのスタジアムに24時間安置され、その後、サントスの町を巡り、墓地へと向かった。だがペレは、サントスだけのスターではない。ブラジル中、南米中、そして世界中のサッカーの王様だ。少なく
はい、こんにちは、私です。 カタールW杯はアルゼンチンの優勝で終わりました。御覧になった方は知っているとは思いますが、あまりに、あまりに素晴らしい試合でした。自分が見たサッカーの試合ではベスト3に入ります。試合前のストーリー、試合内容、監督の采配、試合後のアルゼンチンの熱狂、それら全てが素晴らしい、本当に素晴らしい試合でした。 あまりに素晴らしい試合だったので、備忘録もかねて試合のレビューを残しておこうと思いました。未だにあの試合の余韻が抜けてません。それほどの試合でした。 一生のうちに、数試合しか見れないであろう、そんなスポーツ史上に残る試合であったと思います。 試合前のストーリー、メッシの旅の終わりとムバッペ伝説の始まり 先にこの試合の前のストーリーの話から始めたいと思います。 カタールW杯はサッカー界を長い事牽引し続けた二人のスーパースター、そして今後長らくサッカー界を牽引するであろ
PK戦に入った瞬間、日本の敗退が頭をよぎった。 前回大会のクロアチアは2回のPK戦の末に決勝に進出。日本は10年大会でPK戦の末にベスト8入りを逃した。W杯でのPK戦勝率0パーセントと100パーセント、不安は直前にキッカーを決めているのを見て確信に変わった。 「PK戦は運」というのは、負けたチームの言い訳か、失敗した選手への慰めでしかない。前回のクロアチアは「運が良かった」から準優勝できたのではないし、11年女子W杯の決勝で米国とのPK戦を制したなでしこジャパンを「運だった」ということもない。 W杯で初めてPK戦が行われたのは、82年スペイン大会準決勝の西ドイツ-フランス戦だった。延長1-3から追いついた西ドイツの選手は準備万全に堂々としていて、プラティニらフランスは順番でもめているようだった。結果は5-4で西ドイツが勝った。 ドイツは西ドイツ時代を含めてPK戦4戦全勝。アルゼンチンは3勝
あのPK戦はひどかった。トーキックしか蹴れない素人がプロ相手にPK蹴ってみて止められたような感じだった。 昔の日本代表はPK戦に強かった。2004年アジアカップなどが未だに記憶に残っているが、W杯だと2戦2敗。 原因は単純。これまでW杯でPKを外した人は全員「高校サッカー未経験者」である。今回外した3人が全員そうであり、2010年の駒野も例外ではない。今回決めた浅野は高校サッカー経験者、2010年に決めた3人も高校サッカー経験者、つまり部活組。 W杯PK戦に限っては「ユース組の成功率0%、部活組の成功率100%」であるのだ。これは偶然とは言えないだろう。 なぜユース組と部活組で違ってくるかについてだが、部活組は学校の看板を背負ってサッカーしており、特に高校サッカー選手権におけるPK戦は生殺与奪がかかるシーンだ。プレッシャーは半端ない。 ユース組は別に所属チームの看板は背負っている感はない。
「フランスのサポーターは、中国が最も嫌がる抗議のしかたを知っている…」サッカースタジアムで革命的なアピール 中国では欧州サッカーの人気が高く、欧州サッカー界におけるチャイナマネーの影響は年々高くなっています。 2019年にフランスのサッカーリーグの試合時間が、中国の放映時間の都合に合わせて変更されたのです。 それに怒ったリヨンのサポーターたちが、中国にとって最も嫌な抗議をしました。 WCGW rescheduling a french football match just to cater the chinese TV audience : Reddit/AbatNaBitin 「Free Tibet」(チベットを解放せよ)の抗議パネルを掲げるリヨンのサポーター。 これは精神的な嫌がらせだけでなく、中国当局の検閲に引っかかり放送できなくなるという狙いもあるようです。 フランス人ならではの
「しっかりお金を稼がないと」 元サッカー日本代表のストライカーが2015年に立ち上げた沖縄SV(エス・ファウ)、そのクラブが手がけるコーヒー農園が沖縄県名護市にある。 大規模な国産コーヒーの栽培を目指して『沖縄コーヒープロジェクト』が立ち上がったのが3年前。琉球大学やネスレ日本と連携しながら、耕作放棄地や農業従事者の減少という問題を解決し、沖縄に新たな産業をつくり上げる。同時にクラブがより地域と密接に関わって生きていこうという取り組みでもある。 海からほど近い名護の高台に苗木を植えて3年が経ち、今年の冬にはようやく初めての本格的な収穫を迎えられる。潮風が吹きつけるこの場所は、世界でも例がない塩害の危険性をはらむコーヒー畑だという。あえて過酷な環境でのチャレンジではあったが、5月に東京で行った進捗状況の報告会見では収穫したコーヒーの試飲ができるまでになっている。
「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ
「ほんと教えるの好きなんですよ」 11月下旬、期末試験の真っ只中、週末の金曜日。グラウンドに集まった選手たちの顔はいつになく明るい。テスト勉強から解放された喜びを表すかのように夢中になってボールを追いかける。放ったシュートは勢いあまって大きくゴールの枠外へ。その様子に伊藤は身体をのけぞらして笑う。 「今できるサッカーを楽しんでほしい」 いつでも伊藤は選手たちをそんな温かい目で見守ってきた。 監督就任8年目、優勝までの道のりは決して平坦ではなかった。 2014年、サッカー部の強化を目指す中部大第一高校からの要請を受けて訪れたグラウンド、空気が充分に入っていないボールに数の足りないビブス、色褪せたカラーコーン……。 ベンチに座り練習を見つめる部員に声をかけた。 「どうした、なんで練習してないんだ?」 「指を怪我してるんで見学です」 「右足? 左足?」 「いや、手の」 サッカーに対する意識の低さ
2021年、日本サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に
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