Image credit: mishindiaries.com ソヴィエト連邦のロケット技術者で、一時期はソ連の宇宙開発を率いたことでも知られるヴァシーリイ・ミーシンの日記が、1月21日にインターネットで公開された。 ミーシンは1917年に生まれ、航空機の研究機関TsAGIや、モスクワ航空研究所(大学)などで学んだ後、卒業後には兵器開発に従事し、ロケット戦闘機BI-1の開発などにも携わった。第二次世界大戦後にはドイツでV-2ミサイルの視察、分析に従事し、ソ連で造られたV-2であるR-1の開発や打ち上げにも関わり、ロケット技術者としての頭角を現していく。やがてセルゲイ・コロリョフが第1設計局を立ち上げ、ソ連の宇宙開発を率いるようになると、その補佐役を務め、スプートニクやヴォストークの打ち上げにも深く関わった。 1966年にコロリョフが死去した後は、彼が率いていた第1設計局の主任の座を引き継ぎ