ちくちくと現実風味を効かせて来やがるくせに、 気付けば結局、世界を救うのは世界レベルの才能とコネあらばこそ。 そうでなくともオタク部に一輪の美人のセンパイ。東大、留学、甲子園。仲の良い大家族。 俺にはなーんもなかったなあ。 いい映画だよ。いい映画なんだよ。なのに吐きそう。 何この「耳をすませば」を凌駕する非モテ殺戮映画。(参考:「耳をすませば」「自殺」でGoogle検索)
先日のネトラジの後、改めて私は「今更もう、オタクかどうかは大した問題じゃない」「個人にとって、もっと根本的な問題になるのは、コミュニケーションとコミュニティではないか」と感じました。そこで今回の北極ネトラジでは、非モテ関連の同人誌『奇刊クリルタイ』をやってらっしゃるid:republic1963さんをお招きして、近未来のネットコミュニティやオタクコミュニティについてじかに議論をしてみよう、と思い立ちました。 これまで私とrepublic1963さんは、非モテ/脱オタという立脚点の違いや、サブカル/オタクというhobbyの違いから、色々と意見対立してきたように記憶しています。一方で、ネットコミュニティやオタクコミュニティに対しては、実は、割と似たようなことを考えているのかもしれない、とも思っていました。今回のディスカッションを通し、双方の考えの相似や相違を確かめつつ、ネット小規模コミュニティ
想像関係と象徴関係 人間関係は、想像関係と象徴関係のバランスでできている。想像関係とは一対一の関係であり、互いに欲望しあうことで、愛着が増す、相手がかけがえのない存在になる。それによって自分もかけがえのない存在になる、ということだ。このような関係は「転移」と呼ばれ、上手くいっているときは愛の関係であるが、バランスが崩れると憎しみへと容易に転じる。 それを抑制するために、象徴関係がある。象徴関係とは、社会的な立場である。親と子、先生と生徒、上司と部下など。これらのように社会的な決まりによって、人間関係を規定する。これによって、他者への過剰な欲望は抑制される。たとえば、深く愛し合う男女にもこのような抑制が働いている。男はこうあれ、女はこうあれ、というと社会的な決まりがあり、恋愛は進む。 なぜ「空気を読む」のか ポストモダン的には現代はこのような象徴関係が揺らいでいる。多様な価値観の中で、社会的
オタクはしばしば、空気が読めない者として語られることが多いし、実際そういうオタクは結構いたりするのだが、これってやっぱり第三世代以降のオタク達に(マクロレベルでは観察できる)広く薄い傾向なんじゃないかと私は感じている。彼らのなかには他人の利害や感情に関心が無いタイプの「空気読めない人」への第一選択薬 - シロクマの屑籠に書いたような「自分の利害と感情はモニターしていても、他人のソレには無頓着無関心」な者が少なからず混じっている。第三世代以降のオタクには、(他者性が見事に欠落しているが為に)リアル女性とまともな双方向的交際が困難なケースが多い*1。自分の感情と利害しか追わないような男を女性は忌避するし、だからこそ両者の間に色恋沙汰の架け橋が生まれる確率は極めて低い。 代わりに萌えオタ達は、所有/隷属というどちらかだけの都合を押し付けるような関係や、純愛・献身などといったタームによってごまかさ
最近あちこちのブログで「モテ論」っぽいのを読むことが多いんだけどあれってどうなの?彼女がどうやったら出来るとか、どういう奴はモテないかとかの話を延々と議論してて、そもすると彼女なんぞいらん!恋愛なんぞ恋愛資本主義の作り出した割に合わない罠だ搾取される一方だ等と達観しはじめる始末。 さすがに年がら年中恋愛至上だと困るけど、オタクだろうが何だろうが皆一生に何度かは恋愛至上主義になってそれなりの成果を挙げる時期を作ればいいのにと思うよ。できれば若いうちに設けたほうがいい気がするよ。 ゲームやオタイベントで人生を潰しながらでもダラダラと幸せに漬かって生きていけるけど、実際君らの相手をしてくれる実在の人間も年を取っちゃうんだよねえ。その相手は年を重ねるごとにステキな恋愛wをして目も肥えているんだから、同い年の未婚女性から値踏みされる事になってさあ、収入も将来性も劣ってて35過ぎとかで今まで何やってた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く