歴史を経た古民家・土蔵などの建造物、愛着ある建物を守り生かす私たちの活動は、阪神淡路大震災以来の思いを重ねて、新潟県中越の被災地から始まり19年を数えてきました。 建物修復の智慧のバトンは、その後能登半島、中越沖、岩手宮城へとリレーされ、東日本や熊本では同時多発の広域複合災害でありながら、公費による建物解体の一方で、地域の歴史文化の記憶をとどめるべく広がり、建物再生の取り組みがなされました。 一方持続可能な世の中であるためには、災害時の家屋保全のみならず、平時より住まい・家屋の修復の道理にかなった正しい手当が求められます。 大規模な地震災害が起こるたびに「木造建築は弱い、古い建物ほど危ない」という風説に近い情報が流されます。 このサイトではそんな風説に負けることなく、また平時・災害時を問わず、古民家・町屋・土蔵・神社・寺院などの伝統木造建築、一般住宅から学校校舎・倉庫まで古い建物再生にチャ
被災資料の保全活動が縁 陸前高田の職員が山形で講演 講演を終え、山形の参加者と和やかに言葉を交わす学芸員の熊谷賢さん(中央)と及川甲子さん(右端) 東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市立博物館の学芸員2人が11日、山形県内の有志でつくる「山形文化遺産防災ネットワーク」(山形ネット)などの招きで山形市を訪れ、陸前高田出身の博物学者鳥羽源蔵(1872~1946年)の生涯をテーマに講演した。鳥羽氏関連の被災資料の保全に取り組む同ネットが「鳥羽先生のことをもっと知りたい」と要望。博物館側が快諾し、資料保全を通して生まれた絆を山形の地で確かめ合った。 「博物学の巨人・鳥羽源蔵が遺(のこ)したもの~陸前高田の文化財レスキューから見えてきたこと」と題し、同博物館の学芸員及川甲子さん(28)が被災直後からの経過を報告。主任学芸員熊谷賢さん(46)は、鳥羽氏の生涯や業績を詳しく解説した。 「震災の後、
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/index_main.cgi?mode=kiji_zoom&cd=nws3097 調査団の一部は、今年五月に下調査で気仙を訪れており、今回は住田町上有住にある民俗資料館、九両ケ池、大船渡町の山馬越金山、猪川町の盛富金山とオリエント・ロマン館、猪川館遺跡、日頃市町の沼川精錬所跡などを視察した。 このうち、住田町民俗資料館では、川砂金採取の道具として使われた篩(ふるい)や揺り板、揺り鉢、ネコガキ、金挽き臼など、金掘りや砂金採取道具に関心を示し、九両ケ池では、露天掘りの遺構調査も行った。 また、昭和五十一年に気仙川に架かる垣の袖橋(世田米)の改修工事の際に見つかった川砂金塊(個人蔵)も、今回の調査のために“公開”された。 この川砂金塊は、国立歴史民俗博物館の鑑定によると重量が二十二・四グラム、長さ三・五センチ、幅一・五センチ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く