あらためて戦慄が走る4号機のカタストロフィー 2011年の今日(3月15日)、午前6時過ぎに福島第一原発4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。 その瞬間、日本国民のみならず、世界中の、特に北半球の人々の眼の前には、本当の意味でのカタストロフィーが迫っていました。 それでも私たちは、今、こうして生きています。 これは、偶然に偶然が重なったからです。 ハリウッドの映画制作者なら、これを奇跡的な出来事と呼んで、早速、脚本家に仕事を依頼したかもしれません。 3月15日の水素爆発から、3月20日頃までが、この大災害のクライマックスでした。 まず、アメリカでは、日本政府からの情報を元に、NRC(米・原子力規制委員会)の技術者たちによるタスクチームが編成されていました。これは日本時間で17日の午前0時過ぎのことです。 3月18日の夜から、自衛隊と米軍の消防車による注水作業が行われました。少し後にな