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東北地方太平洋沖地震と津波に関するholyagammonのブックマーク (95)

  • 第438回:3・11から7年〜遺族が見る「大切な人の夢」〜の巻(雨宮処凛)

    東日大震災から、あと少しで7年となる。 ついこの間のことだったような気もするし、だけど気がつけば東京で暮らす私は震災や原発事故のことを忘れている時間が増えていたりして、毎年「3・11」が近づくたびに、何か言い訳のように「あの日から◯年」なんて原稿を書いている気もする。 だけど、「忘れない」ということ以外に、できることは多くない。 連載を読み返してみると、昨年の3月には「3・11後の『不思議な体験』について〜『魂でもいいから、そばにいて』」という原稿を書いている。 タイトル通り、震災後の不思議な体験を集めた『魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く』について書いたものだ。津波で流されたはずなのに、いつも同じ場所に立っている親友。津波で亡くなった兄の壊れた携帯から届いた「ありがとう」のメール。大切な家族を亡くした人にとっては、「不思議な体験」そのものが、「頑張れよ」というメッ

    第438回:3・11から7年〜遺族が見る「大切な人の夢」〜の巻(雨宮処凛)
  • 大川小学校の津波訴訟 石巻市などに14億円余の賠償命令 | NHKニュース

    東日大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は石巻市と宮城県に対し14億円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。 裁判では、海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかや、学校の近くにある裏山に避難するなどして児童の安全を確保できたかどうかなどが争われました。 26日の判決で、仙台地方裁判所の高宮健二裁判長は、石巻市と宮城県に対し14億円余りの賠償を命じました。 大川小学校では学校の管理下としては震災で最も多い子どもたちが犠牲になり、裁判所の判断が注目されていました。

  • 「東日本大震災4周年追悼式」天皇陛下のお言葉全文

    東日大震災の発生から4年目となる3月11日、東京・千代田区の国立劇場で、政府主催の「東日大震災4周年追悼式」が行われた。 東日大震災から4年が経ちました。ここに一同とともに、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。 4年前の今日、東日を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者・行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は、決して忘れることのできない当に恐ろしいものでした。 死者・行方不明者の中には危険をかえりみず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが、今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々、高齢化していく被災者の健康は深く心にかかります。 さらに、この震災により原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人が住

    「東日本大震災4周年追悼式」天皇陛下のお言葉全文
  • 被災旧家から戊辰文書 旧幕府勢力に食料提供|さきがけonTheWeb

    被災旧家から戊辰文書 旧幕府勢力に料提供 記事ツール Tweet 印刷用ページ 戊辰戦争(1868〜69年)の際、仙台藩の村人が旧幕府勢力に宿や料を提供したと記した文書が、東日大震災の津波で浸水した宮城県石巻市長面地区の旧家から見つかったことが17日、分かった。 解読した宮城学院女子大の平川新学長(日近世史)は「戊辰戦争と地域の村々が、どう関わっていたのかを示す貴重な史料だ」と話している。 文書は仙台藩にあった尾崎村(現石巻市)の代表者が残していた。子孫が住んでいた旧家は津波で1階が浸水したが、文書は神棚に保管されていて無事だった。知人を通じ連絡を受けた平川学長が昨年9月に確認した。

    holyagammon
    holyagammon 2014/04/17
    "旧家は津波で1階が浸水したが、文書は神棚に保管されていて無事だった。"
  • あの日から3年の日に思ったこと。の巻‐雨宮処凛がゆく!

    東日大震災から、もう3年が経過した。 この3年間の原稿をちらちらと読み返して、改めて、気が遠くなるような感覚に包まれた。 多くの命が失われたあの日から、なぜか生き延びた私たちはきっちり3歳、年をとった。 「被災地」には、この3年間で何度か足を運んだ。 震災1ヶ月と少しで訪れた石巻。イベントで行った福島。取材で訪ねた岩手。 津波が襲った町はひたすらにどこまでも瓦礫で埋め尽くされ、あり得ない場所にあり得ない角度で突っ込んだままの車には、「捜索済」の文字が生々しく書かれていた。たくさんの自衛隊員が長い棒を片手に遺体の捜索を続け、瓦礫撤去のボランティアたちも大勢現地に入っていた。そんな石巻では津波によって陸に打ち上げられた魚が腐り、その匂いが海辺から離れた場所にまで漂っていた。戻ってきても、しばらくはその匂いを忘れることができなかった。 翌年の1月には、取材で岩手を訪れた。 津波に襲われた町の瓦

    あの日から3年の日に思ったこと。の巻‐雨宮処凛がゆく!
  • 朝日新聞デジタル:幼稚園バスで津波犠牲、園側の責任認める 仙台地裁判決 - 社会

    日和幼稚園周辺の地図  【力丸祥子】東日大震災の発生直後、宮城県石巻市の私立日和(ひより)幼稚園が高台から海側へ送迎バスを出発させ、乗せられた園児5人が津波に遭い、死亡した事故で、うち4園児の遺族が運営法人と当時の園長に計約2億7千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、仙台地裁であった。斉木教朗(のりお)裁判長は園側の責任を認め、約1億7700万円の支払いを命じた。  津波の犠牲をめぐっては、七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の屋上に避難して12人が死亡・行方不明となった事故などで、遺族側が少なくとも9件の訴訟を提訴している。津波犠牲者の遺族による訴訟の判決は今回が初めて。  この事故は2011年3月11日の震災当日に起きた。地震発生直後、幼稚園の送迎バスが園から出発。乗っていた5人が犠牲となる一方、高台にある園は津波の被害を免れた。犠牲となった5人のうち4人の遺族が提訴した。 続き

  • あまちゃん、大吉とユイが見た衝撃の景色 | Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 | 新潮社

    9月1日は関東大震災が起こった日です。その関連の記事を先週5日間ブログに掲載しました。今日は9月2日(月)ですが、NHK朝ドラ「あまちゃん」では、3月11日でした。たまたま今年は9月1日が日曜日だったからでしょう、関東大震災の日にして防災の日、ここに3月11日を持ってきたんですね。 大吉が乗務する北三陸鉄道の列車は、地震によって畑野トンネル内で急停車しました。東京に向かうためにこの列車に乗車していたユイ。前方に見えるトンネル出入口に向かって歩いて行く大吉。そして出入口に立ち尽くします。目の前には津波によって何もかもが破壊された景色がありました。大吉に続いてその景色を見たユイも呆然と立ち尽くしました。 ここで使われていた変わり果てた景色は、実際には島越(しまのこし)駅付近の景色です。 ▲撮影:編集部 平成23年4月30日 大吉とユイが見たことになっている景色とほぼ同じ位置から撮影したのが、こ

  • 海中に巨大な「塔」出現 つぶれた漁具が密集 宮城・女川町指ケ浜沖 - MSN産経ニュース

    東日大震災の津波で水没した養殖施設のロープやつぶれた漁具などが柱状に絡まり合ってできた巨大な「塔」=12日、宮城県女川町指ケ浜沖水深約25メートル(魚眼レンズ使用) 宮城県女川町指ケ浜沖の海中に、東日大震災の津波で水没したホタテやホヤの養殖施設のロープやつぶれた漁具などが幾重にも絡まってできた、直径約5メートル、高さ約20メートルの巨大な「塔」が出現、地元ダイバーらの話題になっている。 水深約35メートルの海底から円柱状に立ち上がる「塔」は表面を茶色の藻に覆われ、巨木がそびえ立っているようにも。漁業関係者は「津波で起きた渦の力でロープなどが寄せ集められたのでは」と推測する。 重すぎるため大型クレーン船でも撤去できないが、「塔」が魚礁の役目を果たし、周囲はメバルやアイナメなどが泳ぐ。 昨年8月ごろに、撤去できない海中がれきの存在を耳にしたプロダイバーの渡辺信次さん(63)が潜って確認、関

  • 津波水没のビル 22人助かる NHKニュース

    おととしの津波でほぼ水没した、宮城県女川町の5階建てのビルで、中にいた22人が溺れずに生き延びていたことが、当時の映像や証言で明らかになりました。 窓がなく、空気の逃げ場がない部屋だったため、空気の圧力で水が一定以上侵入しなかったとみられ、専門家は「震災の重要な教訓であり、今後の津波対策のために細かく検証すべきだ」と話しています。 女川町の中心部にある「女川町生涯教育センター」は、鉄筋コンクリート造りの5階建てのビルで、東日大震災が発生した際、周辺から多くの人が逃げ込みましたが、高さ20メートルある屋根まで津波が達しました。 当時、町役場の屋上からこのビルを撮影した写真では、最も高い津波が押し寄せた際、屋根の先端だけを残してビルが水没した様子が分かり、撮影した役場の職員も「5階までは水没していた。中に人がいても生きていないと思った」と話しています。 ところが、5階の機械室に逃げ込んだ、高

  • 米オレゴンに日本のワカメ 震災で漂流、環境に影響懸念

    【鍛治信太郎】もともと北東アジアにしか見られなかったワカメが東日大震災による漂流物に付いて、米オレゴン州に届いていたことが、神戸大などの調査でわかった。ワカメは欧州や豪州で漁業被害を与えており、現

    米オレゴンに日本のワカメ 震災で漂流、環境に影響懸念
    holyagammon
    holyagammon 2013/03/27
    これまでの津波ではこういうことは起きなかったのかな。
  • 朝日新聞デジタル:女川中学生の訴え-マイタウン宮城

    女川一中2年・阿部由季さんと木村圭さんの発表の概要は次の通り 「私たちが考えた三つの津波対策」 あの日、大地震の30分後に襲ってきた巨大津波によって、女川では、日各地で観測された中で最大の43メートルもの津波が到達し、今回最大の人口の8・77%以上の尊い人命が失われ、家屋の80%以上が流失しました。 甚大な被害があった岩手や福島、そして私たちの宮城では、べ物や飲み物さえない極限の生活が来る日も来る日も続きました。 2011年4月11日、私たち新入生67名は入学式を例年通りに行うことができました。 女川町のすべての児童生徒700名には、入学式の日に、ユニセフからのバッグ、そして三重県鈴鹿市のNPO法人愛伝舎のご協力により全国、世界からのご支援により始まった「希望のえんぴつプロジェクト」を通じて、鉛筆やノートをいただきました。 最初の社会科の授業で、先生は「愛するふるさとが、大

  • 郵便ポスト、震災で西表に漂着 南三陸町からと判明

    【西表島=竹富】竹富町西表島北東部のユツン川河口付近に、2011年3月11日の東日大震災で発生した大津波によって流された宮城県南三陸町の郵便ポストが漂着しているのを昨年12月28日、近くの住民が発見した。2月4日、日郵便沖縄支社の職員が回収した。ポストは東北支社に移送する。 活用方法は今後検討するという。 郵便ポストには「セブン歌津」の標識が残っていて、南三陸町歌津にあったコンビニエンスストア「セブンイレブン宮城歌津店」に設置されていたものと判明した。同店は震災で被害を受け、現在はさら地になっているという。 南三陸町と西表島の直線距離は約2400キロ。長い漂流を物語るように、ポストには貝類が付着し、中には海藻らしきものも入っていた。郵便物は入っていなかった。 ポストは繊維強化プラスチック製で、高さ66センチ、幅33センチ、奥行き45センチ。大津波で支柱から抜けたものの、原型をとどめたま

    郵便ポスト、震災で西表に漂着 南三陸町からと判明
  • 陸前高田 がれき置き場から遺体 NHKニュース

    今月1日、岩手県陸前高田市の震災で出たがれき置き場で遺体が見つかり、警察は、遺体の状況などから、震災の犠牲者とみて身元の確認を進めています。 今月1日午前、陸前高田市の震災で出たがれき置き場で、選別作業をしていた男性が、がれきの中から1人の遺体を見つけ、警察に通報しました。 警察が調べたところ、遺体は死後1年以上たっており、白骨化していて年齢は60歳以上とみられるということですが、性別や死因は分からないということです。 警察は、遺体の状況や震災によるがれきの中で見つかったことなどから、震災の犠牲者とみて、DNA鑑定を行うなどして、身元の確認を進めています。 警察によりますと、見つかった遺体は、緑の長袖セーターの下に、灰色の長袖のポロシャツを着て、白い肌着を身に着けていたということです。

  • 南三陸に生涯学習館 豪銀行が事業費寄付 : 震災情報 : 東日本大震災 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮城県南三陸町で17日、図書室や研修室などを備えた生涯学習館の上棟式が行われた。津波で町立図書館は流失しており、同町では震災後初めての常設の公共施設となる。開館は来年1月の予定。 総事業費約5300万円は、豪州の金融大手オーストラリア・ニュージーランド銀行が寄付。デザインを豪州の大手不動産開発会社「レンドリース」が無償で手がけた。震災後、社員や行員がボランティアなどで同町に入った縁だという。 施設は木造平屋約220平方メートル。建材に宮城県産の杉や岩石を使い、自然との調和を意識した外観だ。 携帯電話の基地局復旧で自らも被災地に来ていた同社日法人のアンドリュー・ガウチ社長(41)は「復興に向けて世界が応援しているということを伝えたかった」と話した。

  • 大量の漂流がれき、米西海岸に…対策検討 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災で発生した大量のがれきが太平洋上を漂流している問題で、政府は18日、今後、米国やカナダの西海岸に大量のがれきが流れ着くとして、具体的な対策の検討を始めた。 この日の各府省連絡会議で、斎藤勁(つよし)官房副長官が各省庁に指示した。 環境省によると、津波で洋上に流出したがれきは約150万トン。米国などの西海岸には今年10月頃に到達すると見ている。 海岸に漂着したがれきの処理については、条約など国際的な取り決めはないが、同省海洋環境室では「がれきの発生場所は明らかで、道義的に考えれば日として何かしらの対応をするべきだ」としている。

  • 津波で流された気仙沼の漁船、喜界島に漂着 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災に伴う津波で流された宮城県気仙沼市の漁船(0・4トン)が約1800キロ離れた鹿児島県・喜界島の海岸に漂着しているのが見つかった。 同県内で震災による漂流物が確認されたのは初めて。 奄美海上保安部(鹿児島県奄美市)によると、2日午後6時45分頃、喜界島漁協から「喜界町伊実久(いさねく)の海岸に、漁船が船底を上向きにして漂着している」と連絡があった。船は長さ5・16メートル、幅1・3メートルで、海藻が付着し、劣化が激しいという。 漁船登録番号から気仙沼市の男性(64)が所有者と判明。奄美海保が気仙沼海上保安署を通じて男性に連絡したところ、「震災時には漁港に陸揚げしていた。津波で流された」と話したという。船は現在、同漁協の組合員が発見場所近くに係留している。

  • 東京新聞:漂着バイクの所有者は宮城の男性 カナダに、「びっくり」:話題のニュース(TOKYO Web)

    東日大震災の津波で日から約6500キロ離れたカナダ西部のグレアム島まで流されたとみられるバイクの所有者は、ナンバープレートなどから宮城県山元町の横山育生さん(29)であることが2日、分かった。 横山さんは取材に「(震災から)1年たって出てきて、びっくりした」と話した。 バイクは4月中旬、コンテナに入って島に流れ着き、海岸を散策していたピーター・マークさん(32)が発見した。 横山さんは山元町中浜地区の自宅庭のコンテナでバイクを保管。しかし、自宅は津波で流され、家族3人も犠牲になった。 横山さんは20歳ごろからバイクに乗っており、今回のバイクは4、5年前に購入。

  • 【東日本大震災】津波で流失のバイクか カナダ西部の島に漂着 - MSN産経ニュース

    カナダ西部ブリティッシュコロンビア州の島に4月中旬、東日大震災後の津波で流失したとみられるバイクが流れ着いたのを住民が発見した。カナダ放送協会(CBC)が29日報じた。宮城ナンバーのプレートが付いている。 CBCは、大震災の津波で日からカナダに到着した最初の漂流物の可能性があるとしている。 大震災後の津波で流失し北米大陸西部に漂着したものとしては、米アラスカ州のミドルトン島に3月、岩手県から流れたサッカーボールとバレーボールが発見され、いずれも持ち主が判明している。(共同)

  • 被災地の、今とこれから。の巻‐雨宮処凛‐マガジン9

    先週の原稿でも触れた通り、4月13日、14日と仙台に行ったので、そこで見聞きしたことを書きたいと思う。 一面の瓦礫が一面の更地になっていたのは前回も書いた通りだが、被災者支援を続ける「東北ヘルプ」の方々の案内で奥松島、東松島など津波の被害地域を回り、その後、若林区にある仮設住宅にうかがって入居者に話を聞くことができた。 お話を聞かせてくれたのは、Hさん。津波で壊滅的な被害を受けた荒浜に住み、町内会長をしていたというHさんは、あの日・あの瞬間をショッピングセンターの駐車場で迎えたという。ラジオからは「40分後に6メートル以上の津波が来る」というアナウンス。安全な場所にいたHさんはしかし、その後津波で流されることとなる荒浜に戻る。 「まず津波は来ないもんだっていう考えが荒浜の地域の人にはあった」というのが理由のひとつ。もうひとつは、町内会長という立場の責任感だった。 「車持ってる人は遠くに逃げ

  • 漂流バレーボール 持ち主判明 NHKニュース

    アメリカのアラスカ沖の島で見つかった東日大震災の津波で流されたとみられるバレーボールは、岩手県田野畑村出身の女性のものと分かりました。 先月、アラスカ沖のミドルトン島で見つかったバレーボールは、島の海岸に打ち上げられているのをアラスカ州アンカレジ近郊に住むデービッド・バクスターさんが発見しました。 バレーボールには「詩織さん」という名前や同級生らによるとみられる寄せ書きがありました。 ニュースを見た視聴者からの情報で、ボールの持ち主は、去年の夏まで岩手県田野畑村に住んでいた佐藤詩織さん(19)のものと分かりました。 佐藤さんは東日大震災の津波で自宅が流されました。 高校卒業後、専門学校への進学を希望していましたが、震災で経済的に大変になったことから、東京の「東武鉄道」が被災地の高校生や大学生を対象に特別に募集した採用に応募して就職しました。 現在、埼玉県で駅員として働き、将来は鉄道の乗