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東北地方太平洋沖地震に関するholyagammonのブックマーク (473)

  • 第438回:3・11から7年〜遺族が見る「大切な人の夢」〜の巻(雨宮処凛)

    東日大震災から、あと少しで7年となる。 ついこの間のことだったような気もするし、だけど気がつけば東京で暮らす私は震災や原発事故のことを忘れている時間が増えていたりして、毎年「3・11」が近づくたびに、何か言い訳のように「あの日から◯年」なんて原稿を書いている気もする。 だけど、「忘れない」ということ以外に、できることは多くない。 連載を読み返してみると、昨年の3月には「3・11後の『不思議な体験』について〜『魂でもいいから、そばにいて』」という原稿を書いている。 タイトル通り、震災後の不思議な体験を集めた『魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く』について書いたものだ。津波で流されたはずなのに、いつも同じ場所に立っている親友。津波で亡くなった兄の壊れた携帯から届いた「ありがとう」のメール。大切な家族を亡くした人にとっては、「不思議な体験」そのものが、「頑張れよ」というメッ

    第438回:3・11から7年〜遺族が見る「大切な人の夢」〜の巻(雨宮処凛)
  • 堺市への復興予算とがれき処理について - 野村ともあき【非公式】ブログ|前堺市議会議員

    堺市に復興予算86億円が交付され物議をかもしています。 えっ!? がれき処理「検討」だけで復興予算約86億円 堺市 - MSN産経ニュース 世間の議論が錯綜しているようですので、この経緯について詳しくご説明しておきたいと思います。少し専門的な話になるので、説明するのがとても難しいのですが、時系列でなるべくわかりやすいように書くよう努力します。 事の発端は、東日大震災から3ヶ月が経過した平成23年6月19日に、当時の政府民主党と環境省が被災地以外でのがれきの焼却を認めたことでした。その後、環境省は広域処理のための補正予算を何度か行い、「災害廃棄物処理事業費」は3年で1兆円という予算が付き、がれき処理は巨額の利権となりました。この予算を巡っては東電子会社が事業を請け負っているなど金の流れについて当初から不適切であるとの指摘がありましたが、全国の自治体が、住民の強い反対がありながら広域処理に手

    堺市への復興予算とがれき処理について - 野村ともあき【非公式】ブログ|前堺市議会議員
  • 詩人の和合亮一さんに仏文学賞 震災詩集「詩の礫」で - 共同通信

    行財政専門情報サービス 全国の新聞社43社と共同通信社が提供する行財政ニュースサービスです。中央省庁や多くの自治体でご利用いただいています。 福島市在住の詩人、和合亮一さん(48)の震災詩集「詩の礫」(徳間書店)のフランス語版が、フランスの新しい文学賞「ニュンク・レビュー・ポエトリー賞」(外国語部門)に選ばれたことが23日、分かった。和合さんと徳間書店に関係者を通じて連絡が入った。7月に現地の文芸フェスティバルで授与される。 和合さんは「震災から6年。震災直後から書いてきた言葉が海外の方々の手に渡り、震災のことについて、福島のことについて、少しでも語り継いでいただく機会となれば幸いです」とコメントしている。 同賞は、2002年に創刊された総合文化誌「ニュンク」が主催する賞の1回目。

    詩人の和合亮一さんに仏文学賞 震災詩集「詩の礫」で - 共同通信
  • 3・11後の「不思議な体験」について〜『魂でもいいから、そばにいて』の巻-雨宮処凛がゆく!

    このところ、3・11に関連するばかり読んでいる。 この連載でも、先々週は小熊英二氏の『首相官邸の前で』について書き、先週は『「心の除染」という虚構』について、書いた。 そうして今回触れたいのは、3・11後の「不思議な体験」を綴った『魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く』(新潮社/奥野修司)だ。 東日大震災以降、被災地での不思議な体験を綴ったには『呼び覚まされる霊性の震災学――3・11 生と死のはざまで』があり、この連載の第365回でも書いた。震災後、被災地で語られた「タクシーに乗る幽霊」などの話が収録されている。例えば、宮城のタクシー運転手が乗せた「不思議な客」。季節はずれの冬物のコートに身を包み、津波で流された場所を行き先として指定する。「私は死んだんですか」と運転手に問う者もいる。そうして目的地に着いた頃には誰もいなかった、という話だ。 東北学院大のゼミ生たちが

    3・11後の「不思議な体験」について〜『魂でもいいから、そばにいて』の巻-雨宮処凛がゆく!
    holyagammon
    holyagammon 2017/03/22
    "それぞれが語る「不思議な体験」から浮かび上がるのは、彼ら彼女らの生きていた日々の姿だ。死者・行方不明者1万8000人余。こうして数字で書くのも憚られるほど、一人ひとりが誰かの「大切な人」だった"
  • 大震災6年:原発事故文言、安倍首相使わず 追悼式で初 - 毎日新聞

  • 東日本大震災6年 能や灯籠で犠牲者悼む | NHKニュース

  • 3・11から6年に思うこと。の巻-雨宮処凛がゆく!

    東日大震災から、もう6年が経とうとしている。 あの頃、6年後のこの国や自分自身なんて、まったく想像できなかった。 ただただ世界が終わってしまうような恐怖の中、スーパーやコンビニから消えた水や料を買い求めたり、ネットで放射能についての情報を集めては何が正しくて何が間違ってるのかわからなくて混乱したり、津波の映像に泣いたり、情報がない中、結果的に原発近くに置き去りにされてしまった動物たちの映像を観ては眠れなくなってうちのをずっと抱きしめていたり、なんだか全部夢のような気がしてぼんやりしたり、そんなことを繰り返していた。 原発事故から数日後、ある週刊誌から電話取材を受けた。原発事故についてどう思うか、という取材だった。自分の中でも何も整理されていなくて、ロクなことは答えられなかったと思う。だけどその時のやり取りで印象に残っているのは、記者の方がおそるおそるという調子で言った、「脱原発、反原

    3・11から6年に思うこと。の巻-雨宮処凛がゆく!
  • 『しんさいニート』から、誰も置き去りにしない復興を考える。の巻-雨宮処凛がゆく!

    2016年もそろそろ終わりに近づいている。 安保法制反対の運動が盛り上がりを見せ、憲法や立憲主義という言葉が飛び交った昨年だったが、今年はその安保法が施行され、「駆けつけ警護」という任務を負った自衛隊員が南スーダンに派遣された年でもあった。 近い将来、過去を振り返る時、「あそこが分岐点だった」と言われるかもしれない年。だけど、世論は盛り上がりを見せてはいないし、関心も高いようには思えない。この国の多くの人の思いは、次のようなものではないだろうか。 「で、なんで自衛隊って南スーダンに行ってるんだっけ? なんのために? 」 この素朴な問いに答えられる人はどのくらいいるだろう。私もわからない。思い浮かぶ答えはただひとつ、安倍首相が行かせたいから。以上。それ以外の合理的理由がどうしても浮かばない。自衛隊派遣でなくとも、違う形の支援ができるのでは? そんな専門家たちの声も無視して、現在、多くの隊員が

    『しんさいニート』から、誰も置き去りにしない復興を考える。の巻-雨宮処凛がゆく!
  • 大川小学校の津波訴訟 石巻市などに14億円余の賠償命令 | NHKニュース

    東日大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は石巻市と宮城県に対し14億円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。 裁判では、海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかや、学校の近くにある裏山に避難するなどして児童の安全を確保できたかどうかなどが争われました。 26日の判決で、仙台地方裁判所の高宮健二裁判長は、石巻市と宮城県に対し14億円余りの賠償を命じました。 大川小学校では学校の管理下としては震災で最も多い子どもたちが犠牲になり、裁判所の判断が注目されていました。

  • 新作マンガ一覧 - 班目春樹のページ

     まえがき 解説 原子力安全委員会の役割 原子力の基礎 避難のあり方 官邸などでの体験 そもそもの失敗は  自分の役割が何かを理解せずに・・・ 総理視察同行の理由  総理が現地に行くべきだったか・・・ 総理の質問あれこれ  総理への説明役として同行することを・・・ ◇◇の一つ覚え  少しはわかるのかなぁ・・・ ◇◇は理解できない  これには参りました・・・ マッカーサー気取り  マッカーサーの真似をしたかった・・・ 皆に挨拶もせずに  あのとき免震重要棟の皆に挨拶してれば・・・ 帰りのヘリの中で  帰りのヘリの中ではみな爆睡してました・・・ 官邸で迷子になって  官邸でいきなり放り出されて私はどうすれば・・・ 経産官僚の悪口  保安院が消滅していたのでその代わりを務め・・・ 見解は正確に?  見解をなるべく正確に伝えようとすると・・・ 再臨界は核爆発?  再臨界すなわち核爆発と考えるなん

  • 「この5年」の「デモと広場の自由」について。の巻-雨宮処凛がゆく!-第368回

    もう少しで、東日大震災から5年が経つ。 多くのメディアでも「5年」の節目を前にして様々な特集が組まれている。私も最近、某メディアの5年特集の取材で、宮城と岩手を訪れた。 2011年4月末、東北新幹線の再開翌日に行って以来、訪れることのなかった石巻の景色はすっかり変わっていた。まだ震災から2ヶ月も経たなかったあの頃、津波の甚大な被害を受けた石巻は、そこがどんな街だったのかまったく想像できないほどに、どこまでも瓦礫に埋め尽くされていた。 流された家の上に乗っかる車。車道に打ち上げられている船。あちこちに無造作に転がる生活用品の数々。そうして強烈な魚の腐臭。魚の加工工場も津波に襲われ、散らばった魚たちが腐っていく匂いが何キロも先まで漂っていた。あちこちでひっくり返った車の窓には「捜索済」の貼り紙が貼られ、自衛隊員が長い棒で瓦礫に埋もれた地面をつつきながら遺体を探していた。当時で、1日5〜6人の

    「この5年」の「デモと広場の自由」について。の巻-雨宮処凛がゆく!-第368回
  • 『呼び覚まされる霊性の震災学』から思う「時間」の巻-雨宮処凛がゆく!-第365回

    東日大震災から、あと少しで5年だ。 生き残った私たちは5年分、年を重ね、亡くなった人たちの時間はあの日のまま、止まっている。 そんな節目を前にして、あるを読んだ。前回の原稿で取り上げた「タクシーに乗る幽霊」の論文が掲載されている『呼び覚まされる霊性の震災学――3.11 生と死のはざまで』(新曜社)だ。東北学院大学の「震災の記録プロジェクト」(金菱清ゼミナール)の学生たちの論文はどれも非常に読み応えがあり、「あの日」と「あの日以降に起きたこと」、そしてそれが今も現在進行形であることに、改めて思いを馳せた。 第一章は、やはり宮城県石巻市のタクシードライバーの話。震災以降、季節外れの真冬のコートを着た乗客がタクシーに乗り、行き先を告げるものの、気づいたらいないという「不思議な現象」について、そんな体験をしたドライバーたちに聞き取りをしたものだ。 例えば、夏の深夜、コートにマフラーで一人佇んで

    『呼び覚まされる霊性の震災学』から思う「時間」の巻-雨宮処凛がゆく!-第365回
  • タクシーに乗る幽霊、そして介護民俗学。の巻-雨宮処凛がゆく!-第364回

    「タクシーに乗る幽霊」が話題となっている。 きっかけは1月20日の朝日新聞の記事。東北学院大のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて書いた卒論についてのものだ。卒論のテーマは、震災後、宮城のタクシー運転手たちが経験した「幽霊現象」。記事には、季節外れのコートに身を包んだ若い女性が告げた行き先に運転手が「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると「私は死んだんですか」と震える声で答え、振り向くと誰も座っていなかったという話や、やはり夏なのに厚手のコートを着た若い男性を乗せたものの、到着した頃にはその姿が消えていたなどの「不思議な現象」が綴られている。 このような話に対して、「震災・津波の犠牲者に不謹慎な」という声もあるだろう。が、私自身、東北の被災地に通い、ボランティアをしていた人から、似たような話は多く聞いていた。 例えば夜、海の近くの道を、津波などで身内を亡くした人を乗せて車で走っ

    タクシーに乗る幽霊、そして介護民俗学。の巻-雨宮処凛がゆく!-第364回
    holyagammon
    holyagammon 2016/01/27
    『遠野物語』にも明治三陸津波のときの幽霊話が採録されてるので。
  • 被災地、タクシーに乗る幽霊 東北学院大生が卒論に:朝日新聞デジタル

    「震災による死」に人々はどう向き合い、感じてきたか。この春に卒業する東北学院大の社会学のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて、卒論を書いた。工藤優花(ゆか)さん(22)は、宮城県石巻市のタクシー運転手たちが体験した「幽霊現象」をテーマに選んだ。 50代の運転手は工藤さんに、こう打ち明けた。 震災後の初夏。季節外れのコート姿の女性が、石巻駅近くで乗り込み「南浜まで」と告げた。「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだのですか」と震える声で答えた。驚いて後部座席に目を向けると、誰も座っていなかった。 別の40代の運転手。 やはり8月なのに厚手のコートを着た、20代の男性客だった。バックミラーを見ると、まっすぐ前を指さしている。繰り返し行き先を聞くと「日和山」とひと言。到着した時には、もう姿はなかった。 工藤さんは3年生の1年間、毎週石巻に通い、客待ちの運転手をつかまえて

    被災地、タクシーに乗る幽霊 東北学院大生が卒論に:朝日新聞デジタル
  • 復興庁説明会:支援縮小に怒号 自主避難者「切り捨てだ」 - 毎日新聞

  • あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その3)‐雨宮処凛がゆく!-第340回

    さて、「あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜」は今回で完結だ。その1、その2を読んでいない人は、ぜひ読んでからこの先に進んでほしい。 この最終回更新の少し前、ある裁判の判決が下された。 それは労災でを亡くした男性が、夫を亡くしたなら年を問わず遺族年金が受け取れるのに、男性だと55歳以上でないと受給資格がないことに対して起こした裁判。6月19日、控訴審判決で大阪高裁は、この男女格差に「合憲」という判決を下した。働く女性の平均賃金が男性の6割以下で、女性の非正規雇用の割合が男性の3倍近いことを理由として「受給要件を性別で分けることは合理性を欠くとはいえない」と判断したのだ。 非常に残念な判決である。この判決は、まさに村上さんたちが取り組んでいる問題に直結するものだ。 ということで、文。 震災から3カ月後の2011年6月、村上さんたちは小宮山厚生労働副大臣(当時)に要望書を提出し

    あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その3)‐雨宮処凛がゆく!-第340回
  • あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その2)‐雨宮処凛がゆく!-第339回

    村上さんの話に行く前に、ひとり親世帯の基的なことをおさらいしておきたい。 2011年の「全国母子世帯等調査」によると、母子世帯は123万7700世帯。父子世帯は22万3300世帯。 ひとり親世帯の7世帯に1世帯が「父子世帯」である。 また、年間の平均就労収入は母子世帯181万円、父子世帯360万円。母子世帯に比べて父子世帯の年収は約2倍だが、両親が揃っていて子どもがいる世帯の平均年収は658万円。 ちなみに日はひとり親家庭の就労率が高く(それだけ経済的支援が乏しい)、母子世帯で8割、父子世帯で9割が働いているのだが、父子世帯の親で正社員なのは67%。世の中の非正規率が上がるのと比例するように、やはり父子家庭でもアルバイトなど非正規が増えているのだ。近くに助けてくれる両親などがいればいいが、そうでない場合、子育てのために残業ができないというだけで、「正社員男性は長時間労働して当たり前」と

    あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その2)‐雨宮処凛がゆく!-第339回
  • あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その1)‐雨宮処凛がゆく!-第338回

    を津波で亡くし、遺族基礎年金の手続きに行った。しかし、父子家庭は対象とされない事を知った。じゃなく俺が死ねばよかったんだ。そう思った」 宮城県父子の会・代表、そして全国父子家庭支援連絡会・理事である村上吉宣さん(35歳)のところに寄せられた言葉である。 東日大震災から4年以上。震災や津波でを亡くした夫は、母子世帯であれば受け取れる遺族年金を受け取ることもできず(2014年4月に制度が変わったものの、施行日以前にを亡くした父子家庭には関係がない。詳しくは後述)、多くが仕事と子育てに忙殺されている。 あしなが育英会によると、東日大震災で震災遺児となった子どもは2005人にものぼるという。そのうち母子世帯は569世帯、父子世帯は432世帯。両親がいない世帯も205にのぼる。 また、震災父子家庭のうち、7割近くの自宅が全壊・もしくは半壊。住宅ローンや車のローンを背負って父子家庭になっ

    あるシングルファザーの奮闘 〜震災前、震災後〜 の巻(その1)‐雨宮処凛がゆく!-第338回
  • 「東日本大震災4周年追悼式」天皇陛下のお言葉全文

    東日大震災の発生から4年目となる3月11日、東京・千代田区の国立劇場で、政府主催の「東日大震災4周年追悼式」が行われた。 東日大震災から4年が経ちました。ここに一同とともに、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。 4年前の今日、東日を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者・行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は、決して忘れることのできない当に恐ろしいものでした。 死者・行方不明者の中には危険をかえりみず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが、今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々、高齢化していく被災者の健康は深く心にかかります。 さらに、この震災により原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人が住

    「東日本大震災4周年追悼式」天皇陛下のお言葉全文
  • 3・11から4年、「戦後100年」に思いを馳せる。の巻‐雨宮処凛がゆく!-第329回

    この原稿がアップされるのは、東日大震災からちょうど4年を迎える日だ。 この週末には、反原発統一行動の国会前大集会に参加してきた。 多くの人が寒い中、国会前に集まり「原発いらない!」「再稼働反対!」の声を響かせていた。 私たちは、既に「原発事故後の世界」を生きて4年目を迎える。小さな頃に読んだSF的な物語なんかで、「核戦争後の世界」と同様に「世界の終わり」として描かれていた世界。 そんな節目の日を前に、ふと、思った。もし、2011年3月11日が「いつもと変わらない日」だったとしたら――。そうしたら多くの命は奪われず、津波によって街や家やそこに住む人々の暮らしは破壊されず、そうしてきっと多くの人は、今に至るまで「原発」のことなど考えもせずに生きていたのかもしれないと。そして今、一基も動いていない原発は、当たり前に稼働していたに違いないと。 そんな世界で、私たちは汚染水の心配などすることなく、

    3・11から4年、「戦後100年」に思いを馳せる。の巻‐雨宮処凛がゆく!-第329回