旧谷中村の強制廃村110周年を来年に控え、ある村民が田中正造(たなかしょうぞう)研究者に注目され始めた。神原勘之丞(かんばらかんのじょう)(1884-1955年)。正造にも一目置かれた抵抗運動の先導役で、鉱害を黙認し日露戦争を進める政府に異を唱えた言葉も、時代を超えて共感を集めている。 神原は青年組織のリーダーの一人として名前は知られていた。ことしに入り研究者が子孫と初めて接触し、証言や保管史料から人物像が明らかになった。 特に関心を集めている史料がある。1905年2月。日露戦争に徴兵された20歳の神原が、出征式で読み上げた「答辞」の原稿とみられている直筆文だ。 「谷中村は政府の乱暴圧政で人権を蹂躙(じゅうりん)され貧困に陥った」「危急存亡の谷中村に老弱男女を残して故郷を去る。実に憤慨に耐えない」 神原は「栄誉」とされた出征の場でも臆せずに政府への憤りをあらわにし、強い責任感や郷土愛をにじ