「日本サッカーの父」と呼ばれ、1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得したサッカー男子日本代表の礎を築いたドイツ人のデットマール・クラマーさんが17日、自宅があるドイツのライトインビンクルで亡くなった。90歳だった。 ドイツ・ドルトムント生まれ。60年に東京五輪へ向けた日本代表のコーチとなり、来日。64年東京五輪のベスト8へ導いた。その後、日本を去ったが、68年メキシコ五輪でもアドバイザー的な役割で銅メダル獲得という快挙を果たした日本代表を支えた。 離日する際には、国内リーグの創設、指導者の育成、日本代表の定期的な海外遠征、芝生のグラウンドの増設、高校年代の担当を含めた日本代表コーチの常設を提言した。日本サッカー協会は65年に日本リーグを創設、69年に国際サッカー連盟のコーチングスクールを開いて指導者養成を始めるなど、クラマーさんの提言を少しずつ実現させた。 メキシコ五輪後はドイツの強豪バイ