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会社と歴史に関するhmabuのブックマーク (3)

  • 昔DECという会社があった。エンジニアとして必要な事はDECで学んだ。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    大学を1984年に出て、新卒で入社した会社がDECという会社だった。その当時日デジタルイクイップメント研究開発センター株式会社というのが日にあってそこに新卒バリバリで入社した。その会社は米国のDigital Equipment Corporation (以下DECと称す)の日子会社であった。当時はDECの販売子会社日ディジタルイクイップメント株式会社と別会社で、後に合併して日ディジタルイクイップメントになる。 エンジニアリング部門の子会社なので、トップはPhD(博士号)を持っているし、米国社からの出向者もいて、技術系の外資という感じだった。一方で、新卒入社ということもあり、同期も少ないながら(6名)いて、日DECの同期と合わせれば、200名近くいて、日企業的な感じもあった。 DECをコンピュータ産業史的な観点から眺めると、当時コンピュータ産業を支配していたメインフレーム、す

    昔DECという会社があった。エンジニアとして必要な事はDECで学んだ。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    hmabu
    hmabu 2011/02/18
    > ミッドナイトプロジェクト
  • IT企業のリーダー交代の歴史--各社を悩ます「後継者選び」

    George Seifert(San Francisco 49ersの元ヘッドコーチ)の時も、Sammy Hagar(ロックバンドVan Halenの2代目ボーカル)の時もそうだった。伝説的なリーダーからの交代は、後継者が十分に育成された人物であっても非常に難しいものだ。 テクノロジ業界と、San Francisco 49ersやVan Halenの共通点は多くはない。49ersもVan Halenも、そのチームやバンドを有名にした強力なリーダー(Bill WalshとDavid Lee Roth)が去って、やむなく新たなリーダーを迎え入れた。しかし、テクノロジ業界は比較的若く、伝説的な創設者をどうやって交代させるかという微妙な問題に直面させられた経験はまだあまり多くない。 この話題が再び浮上してきたのは、明らかに、Appleの最高経営責任者(CEO)のSteve Jobs氏が7年間で3回

    IT企業のリーダー交代の歴史--各社を悩ます「後継者選び」
  • 巨象は倒れる - Chikirinの日記

    1997年11月 三洋証券が倒産、続いて、北海道拓殖銀行が破綻し、山一証券も自主廃業、翌年には日長期信用銀行が国有化(実質的な破綻)、日債券信用銀行も同様に経営破綻した。 その10年前、銀行は“最も安定した会社”のひとつとして高い社会的ステイタスと就職人気を誇っていたし、長銀に至っては潰れる直前まで一流大学の学生が喜々として内定を得ようとしていた一流企業だった。 「大手企業でも、一流企業でも潰れることがあるのだ」と日人が理解したのは、戦後の高度成長が始まって以来では、この1997,1998年が初めてだったのではないか。 その後も多くの企業が危機に直面した。日が世界に誇る技術をもっている自動車業界では、ルノーの日産買収のように、外国メーカーに買われる形で破綻を免れた。 一方、外資が関心を持たないゼネコンなどは軒並み破綻し、カネボウやダイエーなど往年の大企業も実質的な企業生命の終焉を迎

    巨象は倒れる - Chikirinの日記
    hmabu
    hmabu 2010/04/23
    > 100万人がクビになっても、100万人を雇う新しい産業が生まれてくるのが健全なのだろうけど。新しい元気の会社が生まれてないことのほうがインパクトでかい
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