成績優秀だった宿沢は東京大学への進学を考えていたが、東大紛争により入試が中止されたため、早稲田大学政治経済学部へ進学した。早大での成績は「優」が20個以上もあったという。英語も堪能で、ラグビーの海外遠征時には現地で英語でスピーチできるほどの宿沢は、アマチュア・ラグビー界では文武両道の「模範生」と言われた。 ラグビー部には、入学早々入ったわけではない。毎日、東伏見グラウンドで行われている練習風景を見つつも、入部を躊躇っていたことから、その光景を見た当時の監督・木本建治がある部員を介し、『あいつ、いつも練習風景だけ見て帰っていってるけど、本当はやりたいんじゃないか。だったらあいつを入部させろ。練習についていけなくなったら、そのうち辞めるだろう。』と言い、宿沢を入部させた。木本が課した練習メニューはかなりハードだったが、入部後の宿沢はメキメキと頭角を現し、1年生時からレギュラーに定着。160cm