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文化史と近現代史に関するhhasegawaのブックマーク (5)

  • 「呪物蒐集録」など新刊書籍7選/ムー民のためのブックガイド|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム

    「ムー」誌の隠れ人気記事、ブックインフォメーションをウェブで公開。編集部が選定した新刊書籍情報をお届けします。 呪物蒐集録田中俊行 著 見るも禍々しい呪物の数々が迫力満点の写真で執拗に紹介される また何とも悪趣味が登場したものだ(誉め言葉)。何しろ「見るだけで障る圧倒的呪力」と、帯に堂々と謳われている。 そんなもの、「見るな」といわれているのと同義であり、普通の神経をしていたら、絶対に見る気にはならないだろう。 評者は仕事であるから、仕方なく見るハメとなったが、わざわざ「障る」と断言されているモノを、好き好んで見るという人は、よほどの異常なメンタルを備えた豪の者であろう(誉め言葉)。欄としては、あえて書を推奨は致しかねる。 さて、一応警告はしたところで、内容紹介であるが、まず著者の田中俊行氏は「怪談・呪物蒐集家」であり「オカルトコレクター」。以前、欄でご紹介した『当にあった「

    hhasegawa
    hhasegawa 2023/03/16
    『ハーケンクロイツの文化史』の最初の書評は、なんと『ムー』であった。同誌読者向き内容として、ブラヴァツキー、トゥーレ協会、ローゼンベルク、ライヒ、ラヴクラフト(すべて長谷川担当外…)が挙げられている。
  • 「オタク差別」なる言葉についての覚書

    C.R.A.C. @cracjp そういえばファクトチェック福島を擁護する文脈で批判をナチスのホロコーストにたとえたツイートも見たが、なんでも等価病が引き起こした価値判断の崩壊にすぎない。「オタク差別」や「福島差別」と指摘されるもののほとんども、そうしたものの一種である。twitter.com/cracjp/status/… 2018-04-14 12:43:24 Hideyuki Hirakawa @hirakawah 「等価病」はコンパクトなネーミングだな。価値の重みづけや権力勾配に無頓着で、だから「差別」という概念もわからないし、「政権に対する差別」なんてことも言っちゃう。憲法と法律の区別も無視して「憲法は法律の親玉」みたいな発言もあったりする。 2018-04-14 16:23:45

    「オタク差別」なる言葉についての覚書
    hhasegawa
    hhasegawa 2018/04/22
    「オタク」への偏見やいじめは実在したにしてもそれは「差別」とは別種であろう、という趣旨のまとめに、事実をなかったことにしている、と噛みつく事例を散見。漫画とアニメばかり見ていて日本語が読めなくなった?
  • 「あの時代」のオタク差別の風景と「脱オタ」について - シロクマの屑籠

    オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子 リンク先の記事を読み、90年代のオタク差別を思い出した。実際、90年代〜00年代前半にかけて、クラスメートに向かって「アニメ大好き人間です」「ゲーム趣味です」と表明できるオタクは少なかったと思う。ネットの論調も“オタクは差別されるもの”という前提で、だからこそオタク自虐芸が流行していたわけで。 ただ、中森明夫さんの「おたくの研究」や宮沢章夫さんの『80年代地下文化論』を引用したうえで「サブカルがオタクをバッシングしていた」と看做しているのは、ちょっと違うかな、と思う。中森さんや宮沢さんはサブカルだったのではなく新人類だったのであって、対立の図式は「オタクvsサブカル」ではなく「おたくvs新人類」だった。私が文献的に調べた範囲では、「サブカル」という四文字スラングは80年代にはま

    「あの時代」のオタク差別の風景と「脱オタ」について - シロクマの屑籠
    hhasegawa
    hhasegawa 2014/11/28
    オタクがこういった被迫害経験を核にパーリア的意識(http://bit.ly/1FwQgiN)を持ったまま「一般化」した結果が昨今の学会誌やポスターのイラスト問題だとすれば、やはりロクな話ではない。
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:新刊紹介:『陶酔とテクノロジーの美学 ドイツ文化の諸相 1900-1933』

    高橋宗五、田中純、長木誠司(分担執筆)、長谷川晴生(訳) 竹峰義和(共編) 『陶酔とテクノロジーの美学 ドイツ文化の諸相 1900-1933』 青弓社、2014年6月 有機的全体性と一体化することがもたらす熱狂的な陶酔と、テクノロジーによってすべてを合理的に統御しようとする冷徹な志向。たがいに相反する両ベクトルのあいだの弁証法的葛藤という観点を軸に、世紀転換期からヴァイマール時代をへて、ナチス体制へといたるドイツの社会と文化を多角的に考察するというのが、この論集の企図である。 そこでは、文学(ホーフマンスタール、ベン、デーブリーン)、音楽音楽論(シェーンベルク、P・ベッカー)、演劇(ラインハルト)、映画(『カリガリ博士』、『メトロポリス』)といった芸術ジャンルや表現メディアだけでなく、哲学(ベンヤミン、ブロッホ、ヴァールブルク)、心理学(フロイト、フィレンツィ)、さらには政治運動(ナチズ

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    hhasegawa 2014/10/09
    表象文化論学会ニューズレターに『陶酔とテクノロジーの美学:ドイツ文化の諸相1900-1933』(http://amzn.to/1BVjiGX)の新刊紹介掲載。技術と動員が話題になっていた機会にブクマ。
  • アメリカ人がヨーロッパで脳天気に『グラン・トリノ』を撮る〜『グランド・ブダペスト・ホテル』 - Commentarius Saevus

    『グランド・ブダペスト・ホテル』を見てきた。私、たぶんウェス・アンダーソンの映画って『天才マックスの世界』しか見てないような気がするので、二目ってことになる(っていうかなぜ『天才マックス』しか見てないんだろ…)。 舞台は東欧の架空の国、ズブロフカ。ここは昔は帝国の中心地、そのあと共産圏、今は東欧のまあなんかああいう国、ということらしい。1930年代に威容を誇ったグランド・ブダペスト・ホテルの運命を、伝説のコンシェルジュであるムッシュ・グスタフ(レイフ・ファインズ)とそのロビーボーイ、ゼロ(トニー・レヴォロリ、年取ってからはF・マーレイ・エイブラハム)を中心に、殺人事件恋愛話を絡めて語る、というもの。タイトルに「ホテル」が入っているが、所謂グランド・ホテル形式の話ではなく、ホテルの従業員を中心にした物語である。 この映画の面白いところは時系列である。基的に、この映画には以下四つの時間の

    アメリカ人がヨーロッパで脳天気に『グラン・トリノ』を撮る〜『グランド・ブダペスト・ホテル』 - Commentarius Saevus
    hhasegawa
    hhasegawa 2014/09/15
    ほぼ同意ながら、ズブロフカは東欧ではなくほぼオーストリア、それも「世紀末ヴィーン」の残照としての戦間期のそれに等しいということでは? つまり、舞台は箱庭的ヨーロッパというより端的にハプスブルクの残骸。
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