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comicと萩尾望都に関するhengsuのブックマーク (2)

  • 初対談 山岸凉子×萩尾望都 出会いと秘密とヨモヤマ話 - 太田出版

    1969年のデビュー以来、常に私たちの心に静かな革命を起こし続けているマンガ界の偉大な女神、山岸凉子さんと萩尾望都さん。ふたりの初対談が、現在発売中の『Otome continue vol.6』にてついに実現。2万字を超すロング対談より、一部抜粋してお届けします! 「パエトーン」の警鐘 ―――最近お読みになったお互いの作品で印象に残っているのは? 山岸 私は「春の小川」が……泣きました。もう何年振りだろ。ノンフィクションで子どもが病気で死んでしまうとか、そういう体験記はどうしても読んだら泣いてしまうというのはありますよね。そうではなく、全くのフィクションで泣いてしまったというのは、もう何年振りだろうな、と。 萩尾 山岸さんにそう言われたら……。 山岸 いやもうほんとに。 萩尾 私は、「テレプシコーラ」が終わって、ちょっとがっかりしていたところに「ケサラン・パサラン」が始まって。楽しみに読ん

    初対談 山岸凉子×萩尾望都 出会いと秘密とヨモヤマ話 - 太田出版
  • 萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    マニアさま―― わたしはまったくもって人間であります ほんとです こういったまんが好きのマニアの一派に、いわば変格マニアとでもいうべき少数派がいて、これを私はド・マニアといっている。 その考察は独断と偏見に満ち、その自己顕示欲はボウリングのボールのごとく、ピンをすっとばして、疾走し、その鼻は芸術性と文学性に満ちて天をあおぎ、一般大衆を見くだすその目はカマキリのごとき。 萩尾望都といえば、1970年代を通じて最も「マニアうけ」した少女漫画家であったと言っても過言ではないかと思います。 やっぱりというか、残念ながらというか、そういう人には(ごく少数だった、とは思いたいけど)困った方もいらっしゃったようで、萩尾望都も少々、いや、かなり苦労していたみたいなんですね。 「まんがABC」より「M・マニア」 別冊少女コミック1974年6月号に掲載された読切「まんがABC」(現在の所単行未収録)より。*

    萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明
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