マジ・マジ反乱(英: Maji Maji Rebellion、独: Maji-Maji-Aufstand、スワヒリ語: Fitina ya Maji Maji)またはマジ・マジ戦争(英: Maji Maji war、独: Maji-Maji-Krieg、スワヒリ語: Vita ya Maji Maji)は、1905年から1907年にかけて、ドイツ帝国植民地ドイツ領東アフリカの南部タンガニーカ(現タンザニア)において発生した反乱。植民地政府が現地民に輸出用綿花栽培の強制労働を課したことが原因となり、現地民が蜂起した。「マジ」(maji)はスワヒリ語で「水」を意味し、反乱に参加した現地民の多くはドイツ軍の弾丸を液体に変えてしまうという魔法の水を与えられた(実際にその効力が現れることはなかった)。残党の掃討を含めればその鎮圧に約3年の時間を要し、犠牲者数は植民地政府側の数百人に対して現地民側は数