大舘裕太さんは日本で初めての全盲のプロレスラーで2024年7月、名古屋でデビューしました。両目が全く見えない39歳の男性がリングに立つ理由は、息子への思いです。
大舘裕太さんは日本で初めての全盲のプロレスラーで2024年7月、名古屋でデビューしました。両目が全く見えない39歳の男性がリングに立つ理由は、息子への思いです。
曙太郎が亡くなった。54歳だった。ずっと前から闘病生活していると聞いていたが、報道によれば7年だったという。 本人も、周りもずっと大変だったと思う。 曙といえば大相撲、横綱のイメージだろう。 日本の伝統的な、縦社会の格闘技ともスポーツとも神事とも違う独自の競技に異国のハワイからやってきて入団、横綱(第64代)に登り詰めた。 引退後は曙親方として後進の指導に当たっていたが、K-1石井館長の説得で総合格闘技に転身。 2003年大晦日に当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったボブ・サップと格闘技ルールで対戦して、KO負けしたのを覚えておられる方も多いだろう。 その後しばらく格闘技をやったものの結果が出ず、2005年にプロレスデビュー。 以後全日本、新日本、ハッスルなど各団体に出場した。 けれど大半の人には「曙、そういえばプロレスもやってたよね」くらいの認識しかされていないと思う。 今回、曙が亡くなったので、
はじめに 23日、たまたま学園祭で学生プロレスを見かけて、こんどプロのプロレスも観ようかなどと思う。そうだ、一度くらいは生で観ておくかと。そう思って、ちらっと横浜文化体育館の予定を調べたら、「今日やるのかよ!」と。 全日本プロレスの大きな大会らしい。土日の東スポを流し読みするていどでは、そういうところまでわからない。公式サイトで出場予定選手を眺めたら、有名な選手が多い。行こうかな、と気持ちが傾いたなか、決め手になったのは太陽ケアである。太陽ケアを生で観るか、という気になったのである。よくわからないが。 昔、俺と弟の間で太陽ケアの歩き方が流行ったことがあって……というのは完全に実話(どこの地上波で太陽ケアを見たのか思い出せない)だけれど、俺は太陽ケアの風貌だとか、動き方だとか、名前だとかが好きで、そりゃあ復帰後に一度も姿を見ていなかったのだし、せっかくなので拝見してみて、やはりあの独特の姿勢
デスマッチファイターの沼澤邪鬼がギャンブル依存症を告白! 大日本プロレスは退団…登坂栄児社長いわく水原一平氏と「ケタは1つしか違わないぐらい」【週刊プロレス】 4月1日、大日本プロレス新木場大会前に会見がおこなわれ、“総合的な治療が必要”との理由で長期欠場していた“黒天使”沼澤邪鬼、登坂栄児社長が出席した。沼澤は3月31日付で大日本退団。 両者のコメントは以下。 登坂「沼澤選手は昨年4月から現在まで1年間、休業という形で皆様にご案内させていただいております。じっさいはその前の1年間…僕から言わせると闘病をしておりまして、現在に至るという状況であります。このあたり本人から話があると思います」 沼澤「ご無沙汰しております。1年間休業していまして、その前に、いろいろ社長からあったように1年間闘病というか、そういうことがあったんですけど。そもそも病気というか…病気なんでしょうけど、その1年というの
JR水道橋駅は、人でごった返していた。3月9日。みな、そろって同じ方向へ歩みを進めた。西口から後楽橋を渡ると、目的地は見えてきた。東京ドーム。WBCの日本の初戦(対中国)ということもあり、人の数は異常だった。まして大谷翔平(28=エンゼルス)が先発するということもあり、球場周辺には「OHTANI」のユニホームを着た子どもたち、仕事終わりのサラリーマンであふれていた。 そこから約50メートル手前だろうか。球場に吸い込まれる笑顔の人々とは相反し、どこか神妙な面持ちで6階建てのビルに入って行く人たちがいた。多くの人々は「原田大輔」のグッズを持参している。目的地は5階の後楽園ホールだった。日本中がWBCに熱視線を送る中で、プロレスリング・ノアの原田大輔の引退試合がひっそりと行われた。 36歳。現役引退には、まだ早いとも思える年頃。それは突然だったという。昨夏。ノアが定期的に行っている健康診断で、M
生まれるのが40年早かった――。ノアの武藤敬司(60)が、21日の東京ドーム大会で38年の現役生活にピリオドを打った。新日本プロレス・内藤哲也(40)との引退試合後、闘魂三銃士の盟友・蝶野正洋(59)とリングで相まみえるサプライズもあったが、万感の思いで慣れ親しんだ四角いマットを後にした。「プロレスLOVE」を完結させた天才は今、何を思うのか。独占手記を公開する。 現役生活を振り返ると「あっという間だった」っていうのが正直なところだね。駆け抜けたというか…。だからなのか、思った以上に自分の〝作品〟を覚えてないんだ。 最近はユーチューブとかで若いころの試合も流れてくるけど、見ても全然覚えてなくてね。もともと自分の試合は見ないタイプだった。振り返るよりも先のことを考えてきた。だから覚えてないのかもしれないな。 引退してやりたいことは、一番の目標はズバリ、健康になること。まず普通のおじさんになり
『毒舌漫才ウエストランド18代目M-1王者』(サンケイスポーツ) 「おっ」と思ったのは火曜のデイリースポーツ(12月20日)。 『“独自採点”大反響 語ったM-1初審査員の舞台裏 山田邦子 「ブレ過ぎ」批判にあっけらかん「的確にやった」』 審査員を務めた山田邦子のインタビューがドーンと載っていたのである。そりゃ読みますよね。“山田邦子の審査”にどれだけ反響があったのか? M-1終了後のネットニュースのタイトルをいくつか並べてみる。 ・「ブレっブレで最悪」「2度と審査員しないで」 山田邦子、激怒のM-1ファンに真意説明「公正な審査した」 ・山田邦子、M-1での低点数審査に「決勝戦で甘口ばかりもどうかと」 “コメント薄すぎ”の指摘へ「悪いところは言う必要がない」 ・『M-1』山田邦子の審査に賛否…300人に聞いた「見てみたい審査員」お笑いがわかると高評価の女性現役漫才師は? などなどたくさん。
『極悪女王』はカリスマ悪役レスラーとして1980年代に女子プロレスブームを牽引したダンプ松本を題材にしたドラマシリーズ。企画・脚本・プロデュースを放送作家の鈴木おさむ氏、監督を『凶悪』や『孤狼の血』などで知られる白石和彌氏が務める。 ダイエット成功も93キロに大増量して役作り 近年、ドラマ『持続可能な恋ですか?~父と娘の結婚行進曲~』(TBS系)に出演するなど女優としての活動も始めたゆりやんレトリィバァだが、本作が初主演作品。オーディションで勝ち取った主演とあって作品にかける思いは強く、数カ月にわたり元女子プロレスラーの長与千種によるプロレス指導を受け、増量にも挑戦。65キロだった体重を93キロまで増やして7月頃からの撮影に臨んでいた。 そんな彼女が緊急入院するとは、一体何が起こったか。ドラマ関係者が経緯を説明する。 ゆりやんレトリィバァ(Netflix公式Twitterより) 「10月2
先日亡くなったアントニオ猪木の病床からのリモートインタビューを収録したこの本。どうせ死ぬんだからとそれまで言えなかった真相を告白するなんてことは一切なく、いままで言い続けてきたことを言葉少なに語っているだけで(15分の予定が30分になったそうだが、それぐらいの体調だった)特筆すべきことはないんだが、(ジャイアント)馬場と猪木がテーマの本で「俺にとって馬場さんはライバルではあったけれど、本当の意味でのライバルは他のメジャースポーツであり、俺の敵は世間のプロレスに対する偏見だった」と相変わらず言い続けているのは興味深かった。確かに猪木は世間の偏見と闘うためにモハメド・アリをリングに引っ張り上げて多額の借金を背負ったりしてきたが、それでも温泉に行くと老婆に「あら、ジャイアント馬場さん!」と間違えられたりしていた。つまり、猪木にとって世間とは「プロレス=ジャイアント馬場だと思っている世の中」のこと
プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)が1日朝、都内で死去したことがわかった。79歳だった。 心臓の難病を患っていた猪木さんは昨年1月から体調を崩し、入退院を繰り返してきた。昨年3月には「猪木さんが亡くなった」との情報が流れ、打ち消すようにツイッターに「今日も一日リハビリを頑張りました。アントニオ猪木最強の敵と闘っています」と投稿。その後はSNS上で闘病の様子を公開していた。 昨年11月にはNHK・BSプレミアムでは、猪木さんの闘病生活に密着したドキュメンタリー番組が放送された。番組では病名が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と明かされ、番組は大きな反響を呼んだ。今年5月には青森を訪れるなど回復に向かっているとみられたが、心臓の病は悪化していたという。
新日本プロレス11日の千葉・東金大会で「ユナイテッド・エンパイア」のグレート―O―カーンがミスターこと永田裕志(54)との初シングルマッチで歴史的大勝利を収めた。 オーカーンは永田からデビュー30周年記念試合の対戦相手として指名を受け、東金のリングに降臨した。そもそもG1クライマックスから卒業している永田と、事実上の今年度G1覇者であるオーカーンとでは実力差が歴然。本来ならば相手にする義理もないはずだが、何やら戦前から〝師匠ヅラ〟してくる永田のたわごとに付き合い、シングル戦まで受諾してあげたその優しさは、マザーテレサもビックリと言っても過言ではない気がする。 オーカーンが本気を出せば、ミルコ・クロコップように21秒で永田を葬ることも可能とささやかれている。しかし、そんなことをしては東金市民は悲しみに暮れてしまう。オーカーンはサンダーデスドライバー、雪崩式エクスプロイダーといった大技もあえて
プロレス界の“レジェンド”・藤波辰爾(68)が11日、スポーツ報知の取材に応じ、10日にNHKの音楽番組「1オクターブ上の音楽会」で1985年にリリースされた名曲「マッチョ・ドラゴン」を37年ぶりに熱唱した思いを明かした。 同番組は「歌謡曲全盛の時代に常識を突き抜け、異色の輝きを放った名曲」をフィーチャー。そこで「マッチョ・ドラゴン」にスポットライトが当たった。番組では、発売の背景に前年の新日本プロレス大量離脱事件があったと指摘。寂しさや危機感を吹っ飛ばす藤波の新テーマ曲としてリリースされたが、声があまりに素朴であることから、徐々にタブー視されていったことを紹介した。 37年の時を超え、デビュー50周年の藤波は振り付けを交えてノリノリで熱唱。「精一杯、歌いました。元気を取り戻した気がします」と爽やかに語った。司会の竹中直人も「藤波さんのたたずまいはチャールズ・ブロンソンのような雰囲気。俳優
新日本プロレス・グレート―O―カーンの独占インタビューに、またしても成功した。G1クライマックス制覇を逃したオーカーンだが、団体内外で新たな戦いが同時に多発。IWGPタッグ王座(現王者は「FTR」ダックス・ハーウッド&キャッシュ・ウィーラー)の奪回、永田裕志との初シングルマッチ(9月11日、千葉・東金)、さらにノアマットで実現するグレート・ムタとの異次元共闘まで語り尽くす余の言葉を、とくと聞くがいい――。 ――G1は2勝4敗と残念ながら負け越し オーカーン(以下・余)また余なにかやっちゃいました? 開幕前に言ったはずじゃぞ。目標は負けることだと。4回も達成できて、余は満足じゃ。 ――達成しすぎて負け越しては本末転倒では 余 …あれ? さっき言ってた余の戦績がおかしいって、弱すぎって意味だよな? 黙れドン!「負けたことがあるというのがいつか大きな財産になる」という名言があるじゃろ。 ――無礼
新日本プロレスのミスターこと永田裕志(54)が、デビュー30周年記念大会(9月11日、千葉・東金アリーナ)で初の一騎打ちを行うグレート―O―カーンの〝再教育〟を誓った。記憶を失ったオーカーンのかつての姿を熟知していると主張する永田は、自らの記念試合の相手に選んだ理由を激白。過去の過ちを認めた上で、オーカーン最大の欠点を指摘した。 永田はこの日、東京・江東区の東京スポーツ新聞社を訪問。酒井修代表取締役社長に30周年のあいさつを行った。記念試合のカードを伝えると、今年1月にオーカーンに社長室を襲撃された酒井社長はけげんな顔をしたように見えたが、気のせいだろう。 山あり谷ありの30年だった。永田は「紆余曲折で、いい時もあれば悪い時もあった。そのレスラー人生の縮図というものを、この体一つで表現したいね」と腕をぶす。そんな特別な思いを抱く一戦の相手に指名したのがオーカーンだ。そこには深い理由が隠され
新日本プロレス真夏の祭典「G1クライマックス」30日愛知県体育館大会のBブロック公式戦で、グレート―O―カーンがSANADA(34)にチャンチャラおかしい2敗目を喫し、またしても生き恥をさらした。 人数合わせでエントリーされたG1での全敗が確実視されているオーカーンはこの日、1月5日東京ドーム大会で完膚なきまでに叩きのめされたSANADAと対戦。「グレード1」のリーグ戦でここまで力量差がハッキリしているマッチアップはなかなかお目にかかれず、会場の観客からは典型的な「トイレタイム」と見なされていた。 自分でも勝ち目がないと悟っているオーカーンは「キレイな顔を潰してやるよ!」などとホザきながら、SANADAの顔面をコーナーに叩きつける。せめてイケメンに対して爪痕を残そうと必死だったのだろうが、ひがみや妬みの醜悪な感情を公衆の面前で恥ずかしげもなくさらけ出せるのは、もう失うものが何もない底辺の人
新日本プロレス5月1日福岡ペイペイドーム大会で、IWGPタッグ王者のグレート―O―カーンが笑止千万の王座陥落。一度も防衛を果たすことなくベルトを失った。 本来であれば新日本マットレギュラー参戦さえおこがましいレベルのオーカーンだが、大僥倖に次ぐ大僥倖とパートナーのジェフ・コブの傑出した実力に恵まれ4月両国大会でIWGPタッグを奪取。この日は初防衛戦で後藤洋央紀、YOSHI―HASHIの「毘沙門」、チェーズ・オーエンズ、バッドラック・ファレ組とのノータッチルールの3WAYマッチに臨んだ。 因数分解あたりから周囲に置き去りにされたオーカーンに、3WAYのような複雑なルールはもしかしたら理解できなかったのかもしれない。入場と同時にいきなり両挑戦者チームから奇襲を受けるなど、集中力も緊張感も皆無。大した見せ場もないまま毘沙門の合体技・消灯を浴びてリング外へと追いやられ、もう本当クソの役にも立たなか
女児を暴漢から救う手柄を立て警察から感謝状を贈呈されることが決まった新日本プロレスのグレート―O―カーンが、相次ぐ称賛の声に当惑している。 オーカーンは3月29日、川崎市内のJR武蔵小杉駅構内で女児が泥酔した男性に両肩をつかまれ連れ去られそうになっていたところを救出。迷惑行為を働いていた男性を片手で取り押さえ、女児の母親がトイレに入っていた合間に起きた事件解決に協力した。4日には神奈川県中原警察署で感謝状が贈呈されることが決まっている。 その風貌とリング上での言動からは想像もできない心優しく勇敢な行動の反響は大きく、「オーカーン」はツイッターのトレンドランキングで1位も獲得。称賛の声が相次いだ。しかし、当のオーカーンは取材に対し、複雑な心境を明かした。 「まずはこういう大騒ぎになって、申し訳ない気持ちがあるな。称賛してくれるのはうれしいが、これは事件なんだ。めでたいことなんて一切ない。被害
新日本プロレスのグレート―O―カーンが女児を暴漢から救う手柄を立て、警察から感謝状を贈呈されることが1日までに明らかになった。駅構内で酒に酔った男性から迷惑行為を受けていた女児から助けを求められ、被疑者を取り押さえて事件解決に協力。その風貌とリング上での言動からは想像もできない心優しく勇敢な行動を、本人は「余の正義を貫いたまで」と振り返った。 神奈川県中原警察署や関係者の話を総合すると、事件が起きたのは3月29日の午後8時50分ごろ。川崎市内のJR武蔵小杉駅構内で、オーカーンがトイレの前を通りかかった際、女児が泥酔した男性に両肩をつかまれ連れ去られそうになっていたという。 「やめてください」と抵抗していた女児と目が合ったオーカーンは「助けてください!」と要請されたことで事態を察知。迷惑行為を働いた男性を片手で取り押さえ、女児の母親がトイレに入っていた合間に起きた危機的状況を救うことに成功し
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く