1938年末、世論の衆望を受けて政権の座にあった近衛文麿首相が、社会統制化等を巡る政権内に対決に嫌気がさしたことにより突如として辞任、後継には平沼騏一郎枢密院議長が立てられる。平沼枢相は旧来から首相候補の一人であったが、西園寺公望元老は平沼の観念右翼的言動を嫌っていたことから、湯浅倉平内大臣が西園寺元老の意見を聴取したうえで上奏、大命降下がなされる形をとった。当時すでに声望を失っていた政党からは、二大政党の立憲民政党、立憲政友会がそれぞれ大臣1人を輩出するにとどまった。 主な政策 日独伊三国同盟…当時の欧州は、共産主義を推し進めるソ連、一党独裁(ファシズム)による反共・国家社会主義をとる独伊、自由主義の英仏の三大勢力に分かれており、近衛政権時の日本では独伊との接近を模索していた。対して平沼首相は、ファシズムによる社会主義には反対であり、これを推し進める陸軍との間での対立が起こる。 1月19
