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須賀敦子に関するfunaki_naotoのブックマーク (35)

  • 霧の彼方 須賀敦子 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」

    生涯にわたり信仰と文学の「コトバ」に共振し、晩年に稀有な作品を遺した須賀敦子。 没後二十二年たっても読者を惹きつけてやまない作家の、魅力の源泉とは。 須賀敦子の「霊性」に、同じ情熱をもって迫る格評伝。 一九九〇年、須賀敦子が第一作『ミラノ 霧の風景』を発表したとき、「ほとんど一撃を以て読書界を圧倒した」と現代ギリシア詩の翻訳で知られる中井久夫が書いている(『時のしずく』)。それまではギンズブルグなどイタリア文学の翻訳者として、また、川端康成や谷崎潤一郎など日文学のイタリア語訳者として、知る人ぞ知る存在だった。生前に出版された自著は五作。六十九歳で亡くなるまでわずか八年間の作家生活だった。 これが何を意味するかといえば、著作だけ読んでも、須賀がどんな思想をもち、どんな人生を生きた人かはわからないということだ。没後に編まれたエッセイ集や近しい人々による回想記はあるものの、読むほどに、何か決

    霧の彼方 須賀敦子 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」
  • ユルスナールの靴 - Riche Amateur

    ろくに連絡も寄越さない息子の様子をうかがうのと、年末のバカンス気分を少しでも堪能しようというつもりで、パリまで駆けつけてくれた母が、帰りの飛行機のなかで読もうと思ってるの、といいながら差しだしてみせた一冊。もう読んだ? と聞かれ、読んでない、と即座にこたえた私は、母の抵抗をふりきって、このを奪いとったのだった。 ユルスナールの (河出文庫) 作者: 須賀敦子 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 1998/10 メディア: 文庫 購入: 3人 クリック: 29回 この商品を含むブログ (35件) を見る 須賀敦子『ユルスナールの』河出文庫、1998年。 日語に飢えていたのだ、と思う。これほど長いあいだ日語で書かれた文章を読まないということは、日にいた当時の私の読書量を思うと信じられないことだし、唯一スーツケースにまぎれこませた日語で書かれた小説がプルーストの翻訳のみだっ

    ユルスナールの靴 - Riche Amateur
  • 霧のむこうに住みたい :須賀 敦子|河出書房新社

    このの内容 愛するイタリアのなつかしい家族、友人たち、思い出の風景。静かにつづられるかけがえのない記憶の数かず。須賀敦子の希有な人生が凝縮され、その文体の魅力が遺憾なく発揮された、美しい作品集。 著者 須賀 敦子 (スガ アツコ) 1929年兵庫県生まれ。著書に『ミラノ 霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの』『須賀敦子全集(全8巻・別巻1)』など。1998年没。 このの感想をお寄せください 書をお読みになったご意見・ご感想などをお気軽にお寄せください。 投稿された内容は、弊社ホームページや新聞・雑誌広告などに掲載させていただくことがございます。 ※は必須項目です。恐縮ですが、必ずご記入をお願いいたします。 ※こちらにお送り頂いたご質問やご要望などに関しましては、お返事することができません。 あしからず、ご了承ください。お問い合

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  • 霧の彼方 須賀敦子 | 集英社 文芸ステーション

    若松 英輔 (わかまつ・えいすけ) 批評家、随筆家。1968年新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 ──求道の文学」で第14回三田文学新人賞を受賞。16年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で第2回西脇順三郎学術賞を受賞。18年『詩集 見えない涙』で第33回詩歌文学館賞を受賞。同年『小林秀雄 美しい花』で第16回角川財団学芸賞を受賞、19年に第16回蓮如賞を受賞。他の著書に『井筒俊彦──叡知の哲学』『霊性の哲学』『イエス伝』『詩集 愛について』などがある。 『霧の彼方 須賀敦子』刊行記念エッセイ 弱き勇者たちの軌跡──須賀敦子とその仲間たち 若松英輔 奇妙なことをいうと思われるかもしれないが、「評伝」という形式は、書き手の努力だけでは書き進められない部分がある。もちろん、紙を文字で埋められはするが、それだけだとどうしても「作りもの」になってしまう。登場人

    霧の彼方 須賀敦子 | 集英社 文芸ステーション
  • http://nishinomiya.areablog.jp/blog/1000061501/p11911232c.html

  • 霧の彼方 須賀敦子 若松 英輔(著/文) - 集英社

    紹介 生涯にわたり信仰と文学の「コトバ」に共振し、晩年に稀有な作品を遺した須賀敦子。 没後二十二年たっても読者を惹きつけてやまない作家の、魅力の源泉とは。 須賀敦子の「霊性」に、同じ情熱をもって迫る格評伝。 宮沢賢治、川端康成、ウンベルト・サバ、ナタリア・ギンズブルグ、マルグリット・ユルスナール、シャルル・ペギー、ダヴィデ・マリア・トゥロルド、聖カタリナ、聖フランチェスコ、友人マリア・ボットーニ、親友しげちゃん、父、そして夫ペッピーノーー。 詩人、小説家、カトリック左派の実践的思想家、中世の聖人、愛する人たち。 さまざまな出会いによって導かれた、「たましい」の旅を描く。 【目次】 第一章 書かれなかった言葉 第二章 不得意な英語と仏教 第三章 人生の羅針盤 第四章 二人の聖女 第五章 母の洗礼 第六章 夢幻のカテドラル 第七章 レジスタンスの英雄 第八章 終わらない巡礼 第九章 ペルージ

    霧の彼方 須賀敦子 若松 英輔(著/文) - 集英社
  • 大竹昭子のカタリココ|11月22日(木)に「一日だけの須賀敦子展」を開催いたします。

    最初の企画はトークショーだけでしたが、それが「一日だけの須賀敦子展」に広がったのはたったの一週間前のことです! 会場は駒込にある<ギャラリーときの忘れもの>。そこの空間を使って、須賀さんの足跡をたどりつつ私が撮影したミラノ・ヴェネツィア.ローマの写真を展示します(点数は森岡書店の写真展の倍以上で、サイズも大きいものが含まれます)。加えて、須賀さんの全著作と翻訳書を展示する一室をもうけます。 須賀さんはミラノにいたとき、日小説をセレクトし、ペッピー丿の協力を得てイタリア語に翻訳し、『現代日文学選』をだします。ここにはヨーロッパではじめて紹介された小説もはいっており、当時、日文学に興味のあるイタリア人は、川端康成、谷崎潤一郎などをイタリア語で読めるなんてなんという幸運! と思ったそうですが、今回、幸いにもイタリア文化会館からそのを拝借できることになりました。他にもコルシア書店から出版

  • 世界最大の古典『神曲』を、須賀敦子と藤谷道夫の師弟共訳による新訳で刊行! - 産経ニュース

    河出書房新社 新シリーズ「須賀敦子の棚 全9巻」ついに刊行開始 須賀と愛弟子の共同作業が結実した画期的な新訳版『神曲』誕生! 大詩人ダンテが著した、世界最大の古典『神曲』を、須賀敦子と藤谷道夫の師弟共訳による新訳で刊行! 驚くべき新解釈満載!世界最大の古典があらたな姿で出現する。 [画像1: https://prtimes.jp/i/12754/170/resize/d12754-170-488086-2.jpg ] 河出書房新社(東京都渋谷区 代表取締役社長 小野寺優)は、〈須賀敦子没後20年記念出版〉新シリーズ「須賀敦子の棚 全9巻」の刊行を開始、第1巻『神曲』を発売しました。 この新訳の元となった須賀訳は、おそらく須賀が40代のころ、自習用のノートに記されたものです。 1981年、須賀52歳のとき、藤谷が『神曲』を勉強したいと須賀のもとを訪れ、それから5年にわたって、藤谷は須賀の

    世界最大の古典『神曲』を、須賀敦子と藤谷道夫の師弟共訳による新訳で刊行! - 産経ニュース
  • 須賀敦子没後二〇年。異色の評伝『須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京』大竹昭子 | 文春文庫

    61歳で初の著作『ミラノ 霧の風景』を刊行し、衝撃のデビューを飾った須賀敦子。その8年後に世を去り、残された作品は数少ないが、その人気は衰えることなく、読者に愛されつづけている。2018年は、須賀の没後20年。その記念すべき年に、生前親交の深かった著者が、ミラノ、ヴェネツィア、ローマと須賀の足跡をたどり執筆したシリーズを加筆改稿し、新たに「東京」篇を書き下ろした。『コルシア書店の仲間たち』刊行直後に行なわれた須賀へのロングインタビューも初所収となる。 夫と暮らし、コルシア書店に通ったミラノ。夫を亡くした傷心を慰めてくれたヴェネツィア。晩年、ハドリアヌス帝の跡をたどったローマ。帰国後、『ミラノ 霧の風景』を書くまでの東京における「空白の20年」。須賀敦子の起伏ある人生をたどり、その作品の核心に迫る意欲作。 「このの白眉はなんといっても書き下ろしの「東京」篇ということになる。〈略〉夫を失い、

    須賀敦子没後二〇年。異色の評伝『須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京』大竹昭子 | 文春文庫
  • 「須賀敦子の手紙」書評 「語り」聞こえるまろやかな直筆|好書好日

    須賀敦子の手紙―1975—1997年 友人への55通 [著]須賀敦子 最初の著作が出たのが六十一歳、八年後に他界し、生前の著書はわずか五冊。にもかかわらず、没後に書簡と日記と詳細な年譜を含む全集八巻が刊行。須賀敦子の人生は驚きに満ちているが、最近、全集にも載っていない新たな事実が周囲をあっと言わせた。 イタリアから帰国後、ひと回り以上歳(とし)の若い女性と知り合う。「すまさん」こと大橋須磨子は間もなくアメリカ人と結婚、渡米。以来、二十二年にわたって須賀が書き送った書簡が、文面や封書の複写写真と共にまとめられた。ヨーロッパ文明に惹(ひ)かれた須賀がアメリカ友人とこれほど深い関係を持っていたのは正直意外で、しかも四度の訪問でアメリカを好きになっていたのにびっくり。 手紙の内容はシンプルだが、忙しすぎて部屋が混乱状態なのを「家の中に交通巡査をひとりやとって置くか」と言ったり、参院選の候補者を「

    「須賀敦子の手紙」書評 「語り」聞こえるまろやかな直筆|好書好日
  • 今週の本棚:堀江敏幸・評 『須賀敦子の手紙』=須賀敦子・著 - 毎日新聞

    (つるとはな・3078円) なつく人の声の軌跡 直筆には、心に直接入り込む生々しい力がある。鮮明なカラーで収録された五五通の手紙の、丸っこくて几帳面(きちょうめん)な文字が伝える内容を追っていると、自分がいま送り手と向き合って対話をしているような錯覚に陥ると同時に、見てはいけないものを見ているという罪の意識にもかられる。 長いイタリア暮らしを経て、一九七一年に帰国した須賀敦子は、慶應大学国際センターの事務嘱託として働きはじめ、そこで日文学を学ぶ留学生ジョエル・コーンと知り合い、彼の恋人であり、後にとなる日人女性スマと、心を許しあう仲となる。

    今週の本棚:堀江敏幸・評 『須賀敦子の手紙』=須賀敦子・著 - 毎日新聞
  • 生きてる意味を無理に知ろうとしなくても大丈夫『須賀敦子』の眺めている場所 - エキサイトニュース

    池澤夏樹=個人編集《日文学全集》25『須賀敦子』(河出書房新社)。年譜=松山巖、月報=長野まゆみ 福岡伸一、帯装画=村橋貴博。2,800円 税。

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  • 没後18年…今再び須賀敦子さん 考え抜かれた魅惑の文体(1/3ページ)

    『ミラノ 霧の風景』などで知られるエッセイストでイタリア文学者の須賀敦子さん(1929~98年)。米国在住の友人に書き送った手紙55通を収めた『須賀敦子の手紙』(つるとはな刊)など、このところ関連の出版が重なり、静かにブームが再燃している。没後18年、時代を超えて読まれる魅力はどこにあるのか。(永井優子) ◇ 須賀さんは平成2年、61歳のときに『ミラノ 霧の風景』を刊行して一躍注目を集めた。29歳でイタリアに渡り、イタリア人の夫に先立たれて42歳で帰国するまで、13年間で出会った人々や家族の風貌を、長い歳月を経たのちに、緻密で流麗な文章で現前させた回想的エッセーは、驚きをもって迎えられた。 「デビュー作なのにベテラン作家の風格があって、しかも清新。派手さはないが、好きの人たちや編集者の間で、枯れ野に火を放ったように人気が燃え広がった感じを今でも覚えている」。『須賀敦子の手紙』の編集

    没後18年…今再び須賀敦子さん 考え抜かれた魅惑の文体(1/3ページ)
  • 『塩1トンの読書』を読んで | デキル人の条件

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  • イタリア留学の切ない暮らしぶりに共感と安堵をもたらした翻訳家 『コルシア書店の仲間たち』 (須賀敦子 著) | 書評 - 文藝春秋BOOKS

    『コルシア書店の仲間たち』 (須賀敦子 著) 約12年の留学生活を終えていったん日に戻って来たのは1996年の事だった。10代から暫く離れてしまっていた日という祖国へ再びどのように入り込んで行ったらいいものか、美術の学校しか出ていないのに仕事は見つかるのだろうかといった大きな不安と懸念を抱えての帰国だったが、イタリアという国と文化への強いシンパシーを様々な分野で活性させていた当時の日は、そんな私を積極的に迎え入れてくれた。 いくつかの大学でのイタリア語の講師、テレビでのイタリア家庭料理紹介、イタリア文化関連のイベント企画。私は様々な場所でイタリアに憧れる日の人たちの為に、イタリアの魅惑をアプローチするのに大忙しな日々を送っていたが、反面で、自分が見たり感じてきたものとはかなり次元の違うイメージをアプローチする事への強い虚無感を抱えてもいた。私のイタリアでの暮らしは明るく楽しく、美味

    イタリア留学の切ない暮らしぶりに共感と安堵をもたらした翻訳家 『コルシア書店の仲間たち』 (須賀敦子 著) | 書評 - 文藝春秋BOOKS
  • 『新しい須賀敦子』 江國香織、松家仁之、湯川豊著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    文章で写し取った人 須賀敦子の文章を読むと、彼女自身のことをもっと知りたいと思ってしまう。最初のエッセイ集『ミラノ 霧の風景』を読んだとき、その文体の美しさに魅了されると同時に、対象に向ける視線のありように感銘を受けた。須賀さんの文章は、モノクロのスナップショットに似ている。日常を切り取った美しい階調の印画紙は完璧だが、色彩を想像する余地を残している。 須賀さんは、どんな人だったのか。どのような家に生まれ育ち、どんな性格だったのか。文章から想像すると、寡黙で意志が強く、優しい人だったんじゃないだろうか。彼女の随筆には実在の友人や家族のこと、彼らと暮らした時間や場所のことが存分に書かれているのに、まだ知りたいなんて単なるミーハー根性かもしれないし、手に入る著作を片っ端から読めば、事は足りるのかもしれない。でも、写真にうつるものが決して「真実」ではないように、随筆に書かれたこともまた、同じなの

    『新しい須賀敦子』 江國香織、松家仁之、湯川豊著 : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 湯川豊 × 江國香織 × 松家仁之 トークイベント | 青山ブックセンター

  • 2015-03-04

    富士川義之著『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』(新書館,2014)を、「みすず」読書アンケート回答より興味を抱き、読了す。 ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎 作者: 富士川義之出版社/メーカー: 新書館発売日: 2014/03/04メディア: 単行この商品を含むブログ (11件) を見る 読書人にとって、富士川英郎氏の生き方そのものが、規範とすべき書物となっている。 富士川氏は親子三代にわたり、学者の家系であり、義之氏にとって、父・英郎(ドイツ文学者)、祖父・游(医学史)の三代にわたる学者家系である。 文人学者、特に富士川英郎氏の場合は、読書好きという参照コードが、読む者に親しみを感じさせる。なによりも、生涯にわたる禁欲的な、別言すれば淡々とした変化のない生活ぶりであり、カントを彷彿させる。 とりわけ、書カバーにも引用されている箇所は、これからの読書人の生き方にとって素晴らし

    2015-03-04
  • 東京新聞:須賀敦子の方へ 松山 巖 著  :Chunichi/Tokyo Bookweb(TOKYO Web)

  • 須賀敦子の方へ 松山巖著 - 日本経済新聞

    『ミラノ 霧の風景』(1990年12月刊)以来、98年3月の死まで、7年余の「作家」活動にもかかわらず、死後もなお、少なからぬ愛読者をかかえる須賀敦子の足跡を、松山巖は敬愛する友人として、須賀ゆかりの人びとや場所をたずね、遺(のこ)された書簡や写真など資料にあたり、ゆっくり丁寧にたどりなおす。その歩みは、ときに痛切な悼みがもどかしさや苛立(いらだ)ちとなって、歩調を乱すほどに誠実でやさしい。と

    須賀敦子の方へ 松山巖著 - 日本経済新聞