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tricken@暁月6.0済 @tricken 村上春樹の文学がどうも最近多くの人にうすっぺらく感じてしまわれる原因の一つには、みんな村上春樹が考えてるほど「身体と向き合う」ってことについてそんなに面白みを感じてないからだと思うよ。 2010-01-14 08:37:10 tricken@暁月6.0済 @tricken 内田樹さんがあんなに村上春樹シンパなことを自分は(その議論にあまり興味はないけど)よく理解できて、それは彼が合気道の師範になれる程度には身体に適応する面白さというリテラシーを持っているからです。だから『下流志向』で徒弟制度を、なんて素朴なことを言っちゃうのは問題なんだけど。 2010-01-14 08:38:35 tricken@暁月6.0済 @tricken 僕は身体に適応する面白さをよく知ってるから、『1Q84』の青豆さんの描写には痺れるし、村上春樹の肉体の書き方はもう
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
■「獣」のアウトソーシング http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20091204/1259906283 sk-44さんは、性犯罪者に「獣」をアウトソーシングすることで、自らの悪意に対して欺瞞的に振舞うことが可能になっていると主張する。だが、アウトソーシングしているのは本当に性犯罪者に対してだけなのだろうか。むしろ、アウトソーシングをするために、自らの中に「獣」を飼っているひとが多いのではないか。 渡辺淳一というひとの書いたものはまったく読んだことがないのだけれど、例のコラムを参照する限り、「先生も獣ですか」と問われたら「そうだね、獣かもしれないよ」と返事をするのではないだろうか。「私はまだ獣ではないが、獣になりうる」という可能性の中にこそ、自らの悪意にたいする欺瞞がある。 「獣」というのは、「私の中にあって、私のコントロールが効かないもの」の象徴にほかならない。われわれ
今週のネギまは、よかった。 というのは、成長するということの、本質が描かれた気がしていたからだ。 しかしながら、実はこの漫画、少年漫画の成長路線として大きな問題点を繰り返していた気がする。それは、「ネギが、天才であった父親の器(スケール)には及ばないんだ」、という現実が何度も何度も後半から繰り返されるようになるんだよね。何をいってるかとというと、『天才じゃない』って繰り返しているんだ。苦悩する主人公である、かつ非常に頭がよくて「論理的」であるネギくんという少年は、いってみれば小利口な主人公なんだよね。そして、往々にしてそういう人物は、器(スケール)が小さい。小利口で、頭がよく、論理的というのは、一言で言うと「なんでも常識のレベルで物事を考えてしまいがち」ということだ。 こういう人間は、常識から考えて「出来うること」としかできないと考えてしまいがちなんだ。SomethingOrangeの海燕
ひとつ まえの きじを ひじょうに おおくの かたに よんで いただいたようです。まったく よそう して いなかった ことなので、おどろいて おります。とても ありがたい ことです。 ●じかん げんしゅは ちこくする ひとに めいわくが かかるので やめて ください この きじに たくさんの かたが ブックマークを して くださり、また コメントを かいて くださりました。きじの ないように ついての さまざまな コメントも いただいたのですが、わたしが かんじを ほとんど つかわずに ぶんしょうを かいて いる ことに ついての コメントも たくさん ありました。 ぜんかいの きじからは だいぶ あいだが あいて しまったのですが、きょうは、そうした かながきに ついての コメントを よんで かんがえた ことを かいて みたいと おもいます。 ●きじの ブックマーク・ページ(1) ●きじ
非リア充な自分は人から継続的に好かれるある人に憧れてを抱いていた。その人は世間体、社会的地位申し分無しで、ルックスもいい。性格は真面目で礼儀正しく、話は面白くて聞く人を虜にさせ、周囲にはその人を好む人たちで溢れ返っている。自分も周囲の一人に加わってみて、この人みたいに人から好かれてみたいなと羨望の眼差しで見ていた。ただ、その人は対周囲、対個人に対して・礼節をわきまえましょう。・俺のことは好きでいましょう。という二大空気を作っていた。もし、ルールに反した反乱分子が現れたら、自分→皆として代弁して周囲の敵意を集中させたり、一個人を特定し、周囲を煽って嘲笑させた。そして悪い話が出てきそうで多数が見そうな場所は常に監視してるよと周囲に随時様子を報告していた。だから悪いことを言う人はいつのまにか消えて、空気の読める人たちだけが残っていき、ざっくばらんに話せる外部は監視されてると思ってしまうからか本音
この時間に書き込んでるってことは まぁ特記するほどじゃない普通のデートなんだけどね。 映画見て、マクドでご飯食べながら二時間ぐらい話して帰ったよ。 同じ大学の人じゃないんだけど、知り合いの知り合いで、 あ、別に合コンとかじゃなくて、なんか偶然知り合ったのよ。 第一印象は、ぬるめのサブカルくん? って感じ。見た目はけっこう小綺麗。 そしたらさー、メールでなんかこう送ってくんのw 仲良くなりたいですー、みたいな雰囲気のをさw 私は別にじらすわけじゃないけど、無精だから何日かおいて返すんだけど 彼は必ずその日のうちに返すんだよね。手の込んだのをさw そんで映画に誘われたわけ。なんか試写会に当たったんだけど 行く予定だった奴が急にいけなくなっちゃったんだけど~みたいな白々しい理由つけてさw しかも私、一回断ったんだ。それはほんとに都合がつかなかったんだけどね。 そしたらしばらくしてまた誘ってきたw
彼女は、twitterのヘビーユーザーだった。 日本語版が開始された直後くらいから使い続けていた。 彼女にとってtwitterは、わくわくする新サービスだった。 それと同時に、「mixi疲れ」の逃亡先でもあった。 チャットでもメールでもSNSでもブログでもない「ぬるい場所」。 その感じがよかったらしい。 彼女にとって、初期mixiも、「普段は出会えない、同じ趣味の仲間」を見つけるための場だった。 でも、ユーザーが増え、「同世代はほぼ誰でもやってるツール」になると、 「普段も出会っている、いろんな関係の人たち」のメンテナンスで気疲れするようになり、 更新がどんどん減り、そのうち日記を書くのをやめるようになったという。 退会こそしないまでも、今では、たまにいくつかのコミュニティを巡回するのみとなっていた。 ※そんな彼女曰く、「学校裏サイトやらプロフなんかで放課後も絡んでいる学生って信じられない
間違った方法でいくらハードトレーニングをしても、スポーツ選手としての成長はないように、 間違った方法で何千冊読書しても、思考も見識も洞察もたいして深まらない。 最小の努力で最大の筋力を得られる筋力トレーニングがあるのと同じように、 最小の努力で最大の見識を得られる読書スタイルというものがある。 実際、たくさん本を読んでいるのに空回りばかりしている人はよくいるし、 ほんの数冊の本を読んだだけで、驚くべき成長をする人もいる。 その違いは、具体的にはどこにあるのだろうか? よく「文章の論理構造の理解が一番大切だ」と言う人がいるが、文章の種類によっては、この固定観念が癌になる。 論理構造の理解は確かに必要なのだが、それを優先して文章を読解しようとすると空回りして不毛な誤読をして、結局、一番肝心な部分が分からないままになってしまうことが多い。 最優先でやるべきは、作者や登場人物の情動回路を自分の脳内
総選挙の公示があり、選挙カーが走り回り始めた。 去年の秋にほんとうは選挙があるはずで、候補者たちはそれからずっと選挙運動をしているわけだから、資金的にも体力的にも、もう限界なのであろう。 攻める民主にも守る自民にも、何かを成し遂げようという勢いがない。 党首以下同じことを呪文のように繰り返すだけ。 知的パフォーマンスが底なしに劣化しているという感じがするのは、あまりに長く続いた選挙運動に疲れすぎて、頭が回らなくなってしまったせいなのかも知れない。 世間は政権交代で多少は盛り上がっているが、私にはなんとなく「史上もっとも頭の悪い選挙」という印象がする。 選挙運動自体が21世紀のあるべき国家像とそれに向かう道筋を示し、それに向けての国民的合意を形成してゆくというものではまるでなく、ひたすらおたがいの政策のどうでもいいような瑕疵をあげつらうだけ。 これでは、やればやるほど、人品骨柄の悪さと志の低
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
突然ですが、少し前からこのブログは新しいモードに入っています。それは、「ブログはキャリア構築にとって必要なインフラとなるか?」ということにトライしているということです。なぜそういうことにトライしているかといえば、以前に読んだ、梅田望夫さんのインタビューに刺激を受けたからです。梅田さんは言いました。日本のネットはキャリア構築のインフラになっていない、と。ならば、それを実現してみたいと思ったのです。また、せっかくブログを書いているのだから、それを仕事に生かしたいとも思いました。ぼくは仕事が大好きなので、ブログも、色んな形で仕事にフィードバックさせたいと思ったのです。ただ、「キャリア構築」という言い方は、必ずしも正しくないかも知れません。なぜならぼくは会社員ですので、目指すところはただ単に個人のキャリアを築くだけではなく、それよりは会社のプレゼンスを高めたり、あるいは仕事をクリエイトするインフラ
日直のボウシータです。前回に続き、共感をめぐって。 前回書いたように、本を読んでその本に「共感できなかった」とき、それだけを理由にその本を「ダメな本」「自分にとって意味のない本」と見なしてしまう人が、世のなかにはたくさんいる。これはとても恐ろしいことだ。 誤解されると困るので、ここははっきりしておこう。 人はだれでも、本に共感できる部分があればそれは嬉しいものだ。私だって鬼ではない。 私はここで、「本に共感を求める人や行為」を批判しているのではない。 「共感できなかった本を、それを理由につまらない本と決めつけてしまう人や行為」が問題だと言っているのだ。 つまり、「共感できるとうれしい」は人情として当然だけど、「共感できないとムカつく」は勿体ないことしてるんじゃないか、という話なのです。 本、とくに小説や漫画のような物語に「共感できなかった」。 その一時をもってその小説・漫画を「ダメな小説・
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