家入 一真 @hbkr 喫茶店でいつものマルチの姉ちゃんが獲物をゲット。獲物と仲良くなって落とすコツは適度にタメ口を混ぜる事。参考になるわ 2011-10-17 18:35:52
ご無沙汰しております。 gooラボスタッフの徳永です。 暗黙知通信、実験スタートしました。 暗黙知、という言葉の説明は、Wikipediaさんにお願いします。 Wikipediaの説明の中で言うと、今回は野中郁次郎さんの「経験や勘に基づく知識のことで、言葉などで表現が難しいもの」が一番近いです。 普段、「おい」「ねぇ」「アレ」などの単語でコミュニケーションが成り立ったりしますよね? これって、そのコミュニケーションをした人同士が、暗黙的に経験や勘に基づいて共有している知識があるから成り立ってる、と今回のメンバーは考えています。 「おい」「ねぇ」「アレ」などの単語は、単語として持っている意味は非常に少なくて、裏にある文脈(コンテクスト)が多くの意味を持っているからこそ、成り立つコミュニケーションです。 と、ここでひと段落。 次は、ICTでのお話。 遠隔にいるものどうしのコミュニケーション手段
説明1:QRコードからアプリをダウンロード(無料) 2:ダウンロード後に、iアプリの設定を「待受けアプリON」「通信あり」に設定 3:アプリを起動し、パートナーとICカード経由でURLを送信し、ペア専用のアプリをダウンロード 4:パートナーの人もiアプリをダウンロードしてiアプリを待受け設定 5:あとは、アプリを使ってコミュニケーションを取りましょう
「いい仕事してますねぇ」の、「なんでも鑑定団」に出てくる鑑定人、中島誠之助の語りが素晴らしいと思う。いかがわしさと人当たりのよさと、矛盾が見事に同居しているようなあの話芸は、出品されたものが「贋作」であったときに、出品者を否定するときに威力を発揮しているように思える。 欠けているものと過剰なもの 鑑定を依頼された何かが「偽物」であったときには、鑑定人の人たちはたいてい、「これは本物ではありません」と、冒頭に宣言する。宣言したあと、「依頼品にはこの要素が欠けています」と、本物に比べて、足りないものを指摘する。やりかたとして、これは全く間違っていないけれど、鑑定を依頼した人は、「欠けている」その依頼品を嫌いになってしまう。 中島誠之助が偽物を鑑定するときには、「もしも」から入る。 「もしも本物だったら」で語りをはじめて、それが素晴らしい価値を持つこと、当時人気があったこと、現存していればすごい
最近光学式以外のマウスをほとんど見かけなくなったけどいまだに使ってんだよボールマウス。あれはあれでなにか気持ちがいい。なにがなといえばたまに掃除が必要なところ。底のところのフタをカパッとあけてボールやローラーについてるゴミを取ったりする。あれ。あの無駄な時間。あれがいい。耳掃除とかの感覚に近い。しなくてよくなればいいなーと思うが、しなくて済むようになったら寂しくなる。メンテナンスフリーってのも考えものだなと思う。身辺に付着するマニュファクチュア感。綺麗に掃除するとポインタのグリップ感が増してな。脳と指先と画面が一致するバーチャ・ハイに似た恍惚。そこからアホみたいに遠い地平にある些細な単純作業。二者が越境して直結するダイナミズム。 このへんの妙な「細かいやりがい」みたいな部分で近い感覚だったのが、小学校時代の鉛筆けずりだった。おれの時代だと小学校は低学年がシャーペン禁止だった。学校でみつかる
2006年12月19日 子供の頃テレパシーが欲しいと思っていた 子供の頃、“人の心が読めるテレパシーがあればいいのに”、などと考えたものだ。だけど世の中には“わからないほうが幸せ”なことってたくさんある。 例えば“mixi”には、人と人がつながるためのさまざまな仕組みが用意されている。“足あと”がそのひとつだ。ところがこれが実に悲喜こもごもの機能なのである。 だれかのページを訪問すると、自分のハンドルが足あととして残る。で、来ましたよというお知らせの代わりになる。足あとをたどれば簡単に相手のページへ行けるし、友だちをふやすきっかけにもなる。 だがその反面、足あとがつかなきゃいいのにと思う場面も多い。特に友だち登録している人(マイミク)のページへ行く場合だ。 ふつうなら、あちこちのサイトを訪問するたびに挨拶文を残して歩くなんてことはない。だからこそ気軽にネットサーフィンができるのである。 だ
平田(仮名)さんは誰とでも仲良くなる。 掃除のおばさんと飲みに行く。勤務時間中に会社の近くの喫茶店で店番をしている。海外旅行に行けば現地ガイドの家に行ってごはんを食べる。仲良くなりかたが普通ではないのだ。 一時期平田さんとはいっしょに働いていた。そのときはそんな人もいるのかと思っていたが、平田さんと会わなくなって2年、そんな人に出会わない。 やっぱりあの人は特殊なんではないか。そう思って、ふつうの人なんだけどインタビューをしてきました。(林 雄司) ---どうしたら掃除のおばさんと飲みに行くことになるんでしょうか。 最初は、ビルの喫煙コーナーで一緒になって。仕事たいへんですか?とかそんな話をしました。仕事の愚痴を聞いたりして。 で、僕がジャズを聞くって言ったら知り合いがジャズの店をやってるのでいこうって誘われて。 ---ジャズの店に行ったんですか? ええ、高い店でした。 喫煙コーナーで話を
オープンソースカルチャーの特徴の1つに、何が失礼で何が失礼でないかの概念が他と違う点が挙げられる。ここで紹介する例は、フリーソフトウェア開発にも、ましてや一般的なソフトウェア開発にも限ったことではない。数学、自然科学、あるいはエンジニアリングの分野で働く人たちの間でも同じだろう。ただ、フリーソフトウェアの世界は敷居が低く、新しい人がどんどん入ってくるので、特にこういった慣習に不慣れな人たちが戸惑うことも多くなる。 この記事は『Producing Open Source Software』(Karl Fogel著、Copyright (c) 2006、O'Reilly Media, Inc. All rights reserved)からの抜粋です。 まずは、失礼でない方から説明しよう。 技術的な批判は、率直であっても遠まわしであっても、失礼にはあたらない。これはある意味、賞賛と見
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