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承認欲求に関するfenethtoolのブックマーク (7)

  • 承認フレームワークの拡張 - socioarc

    承認フレームワークの拡張 Society 1ヶ月ほど前に「国民総幸福量の増大には価値観の真の多様化が必要」というエントリを書きかけて放置していたところ、例の秋葉原の事件が起きてぎょっとした。「価値観の多様化」という言葉はモノやサービスが大量に売れなくなった原因として挙げられる訳だが、それはあくまでも商品の好みが多様化しているだけであり、こと生き方や幸福観としてみた場合には余り多様化していないどころか、むしろ画一化しているようにすら感じられる(例えば、「「見た目」依存の時代―「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける」とか「容姿の時代」)。 先の事件が承認の問題が遠因あるのではというのは、先日のニュースメモでも書いたが、socioarcでは以前から「ベーシックアクノリッジメント(基的承認)」などで取り上げて来たように、承認を得られないこと、承認格差が社会の不安定化に繋がるという問題意識があ

  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
  • 承認の生産 - the deconstruKction of right

    あわわわ、福嶋亮大さんから直接リアクションが来てしまった。しかも批判気味に(笑) これはこれでマジで考えてちゃんと応答するつもりですが、その前にこっちのエントリを書いてしまいます。昨日のロスジェネから引き継いだ内容になっています。 で、承認の格差と配分という問題なんですが、前にid:Rir6さんに応答したことがあるのですが、http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080423/1208954856 承認は分配できないからがんばれ、という内容なんですが、どうもその現実主義的な「仕方ない」という大人の意見に自分でも違和感があったわけです。俺はいのまにかきたねえ大人になっちまったのかと(笑) しかし、そういう子供の抱くような「不可能性への夢」をどんどん叶えるようになっていくのが社会がよくなっていくということだと考え直しましたので、今では一概に否定するつもりはない

  • 承認欲求・マズロー周りの、最近の記事クリップ&私見 - シロクマの屑籠

    最近、「承認欲求」関連の記事を立て続けに見かけたので、保存がてら、まとめてコメントしてみようと思う。百家争鳴の観だが、多くの記事に共通しているのは「時代の変化」「承認欲求的な何かを体感することの、現代的困難さ」だったとは思う。そのうえで、見通しや対策について色々な人が意見交換している、という風にみえた。 なお、このまとめ記事では、混乱をできるだけ避けるために、A.マズローの欲求段階説にある用語「承認欲求」「所属欲求」「自己実現欲求」に統一したニュアンスで書いていくこととする。以下のリンク先の文章は「承認」「承認欲求」がそれぞれで微妙に違っているような気がするが、この記事クリップ上では、一律にマズローの欲求の階層を念頭に置いたうえで言及してみる。 Thirのノート 今回のやりとりのスタート地点、とおぼしき記事。この記事では、まず「承認」の定義づけから入っているが、内容から察するに、マズローで

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 404 Blog Not Found:難認簡接型社会「日本2.0」へようこそ

    2008年06月29日20:45 カテゴリValue 2.0 難認簡接型社会「日2.0」へようこそ サバイブSNS第1回オフ会、参加者のみなさまお疲れさま。参加できなかったみなさん、またの機会を。 で、そこでも話題になったのがこれ。 非承認型社会「日」へようこそ - Thirのはてな日記 この国は今、「非承認型社会」、即ち「他の誰でもない自分」が承認されない社会となりつつある。あるいは、自分ですら自分という存在を承認することが出来ない状態になっているのではないか。 私はこれとは全く逆の印象を持っている。 このオフ会成立そのものが、その傍証ともなるだろう。私はかつてであれば「他者」(strangers)であったはずの参加者各位を実に手軽に「承認」(recognize)し、個人宅に招いた。これほど簡単に他者を承認するのは、前世紀では不可能だったのは確かだ。インターネットとSNSがそれを可能

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  • 承認を勝ち取るコスト - raurublock on Hatena

    むっ。似たようなことを書こうと考えてたとこだったけど、マッチョの権化に先に書かれてしまった。 難認簡接型社会「日2.0」へようこそ (404 Blog Not Found) その意味において、現代は接続開始コストがべらぼうに安くなった代わりに、接続強化コストがべらぼうに高くなった時代とも見なせる。マイミク1000人カレカノなし、もう充分みくみくにされてますってわけである。 なぜそうなったのか。かつてあった「強制承認」(forced recognition)が「うざい」ということでゼロに近いところまで減ったからだ。地縁血縁と言い直してもよい。そこには承認がある代わりに、「貴様かくあるべし」という呪縛(bind)もあった。代替不可能の見返りに変更不可能でもあったのだ。「そんなのつきあっていられるか」と反旗を翻したのが、団塊の世代。「大きな社会」との戦いには敗北した彼らではあったが、「小さな社

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