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考えると疑似科学に関するfaultierのブックマーク (2)

  • 宗教と科学と疑似科学とニセ科学について - よそ行きの妄想

    科学とニセ科学の違いってそんなに重要か? - よそ行きの妄想(以下、単に「前回(エントリー)」という)について補足。 なお、並み居るコメント・トラバ等々への個別応答はまた別に行う方針(なのでオレの質問に応えろボケはまだやめてね)。 前回大分いい加減なことを書き散らかしてしまったので、なかなか説明も大変だが順を追って。 宗教と科学 前回Wikipediaを引用したのは、その『科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。』という記述が目に留まったからであり、Wikipediaに書いてあるくらいだから科学を思想の一種と捉えることにそれほど大きな抵抗はないのだろうと思ったのだが、寄せられた反応を見ているとどうもそうでもないようなので、まずはここから話をはじめねばなるまい。 ちなみに、予め断っておきたいのは、私は科学と分類される諸学問の有用性に疑問

    宗教と科学と疑似科学とニセ科学について - よそ行きの妄想
  • 科学と宗教の区別がつかない人はいい加減どうにかしてくれ - novtan別館

    何が足りないのかなあ。 科学信奉者の基「科学は絶対ではない」 ニセ科学の基「科学的に証明されているので絶対効果があります!」 科学が宗教ではありえないのは、その理論が正しいと考えるに足る根拠が観測や実験から明らかにあるとしても、それが絶対ではなく新たな観測や証明方法の登場によって覆ることが十分にあることを知っているし、それを繰り返してきた歴史が今の科学を積み上げてきたことを誇りに思っているからだ。 統計的な弱いエビデンスしか持ち得ない心理学の研究者がその検証方法を「そんなものは科学ではない」といわれながら少しずつ進歩させていっている一方で血液型性格診断にあたかも裏づけがあるような流布のされ方をしているような、そういうもどかしさというのは常に存在するのだけれども。 レベル感。 科学的に証明されています。絶対に正しい! 科学的に証明されています。正しいと考える蓋然性は高いです 証明はされて

    科学と宗教の区別がつかない人はいい加減どうにかしてくれ - novtan別館
    faultier
    faultier 2008/11/18
    科学が「科学教」だということにして得をするのは誰なんだろう。少なくとも疑似科学ではないと思うのだけど、疑似科学が主張するのは何故なんだろう。
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