宝永6年(1709年)正月、綱吉は死に臨んで世嗣の家宣に、自分の死後も生類憐みの政策を継続するよう言い残したが、同月には犬小屋の廃止の方針などが早速公布され、犬や食用、ペットなどに関する多くの規制も順次廃止されていった[1]。 ただし、牛馬の遺棄の禁止、捨て子や病人の保護など、継続した法令もある。また、将軍の御成の際に犬や猫をつなぐ必要はないという法令は綱吉の死後も続き、8代将軍・徳川吉宗によって廃止されている[12]。鷹狩が復活したのも、吉宗の代になってからである[14]。家宣が生類憐みの令を撤回したことを農民は喜んでいた。 生類憐れみの令は庶民の生活に大きな影響を与えたため、「天下の悪法」と評価されることが多く[1][19]、綱吉への評価を下げる原因となった。現在でも、極端な理想主義の法律・法案などに対する批判として、「現代の生類憐れみの令」のように揶揄の対象にもなる。 綱吉死後の政権