
エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
防空壕「市民防護室」の設計図見つかる 東京大空襲80年 | 毎日新聞
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
防空壕「市民防護室」の設計図見つかる 東京大空襲80年 | 毎日新聞
約10万人の犠牲者を出した東京大空襲から10日で80年を迎える。国民学校(現在の小学校)地下に設けられ... 約10万人の犠牲者を出した東京大空襲から10日で80年を迎える。国民学校(現在の小学校)地下に設けられ、証言などでは知られていた防空壕(ごう)「市民防護室」の設計図が、すみだ郷土文化資料館(東京都墨田区)の調査で見つかった。当時の東京市(現・東京都)が市民を守るために整備したが、収容能力などに課題があることが浮かんだ。 資料館によると、1939~40年の防護室の設計図を都公文書館で発見した。本所区(現・墨田区南部)にあった21の国民学校のうち7校に設けられ、23年の関東大震災後に東京市が建て直した鉄筋コンクリート造りの「復興小学校」だった校舎に設置されていた。 設計図からは、教室の真下に9メートル四方(約45畳)の防護室が学校によって1~4室あったことがわかる。コンクリート製で収容人数は1室「約100人」と想定。地下に下りるための階段やゴムで密閉する鉄製の扉を二重に設けていた。電気が通り、