◇津波に街流され 岩手・宮古市田老地区 住民が「万里の長城」と呼ぶ巨大防潮堤で守られていた街があった。東日本大震災で被災した岩手県宮古市の田老地区(旧田老町)。総延長2.4キロ、高さ10メートルの世界にも類がない二重の壁は、半世紀近い年月を費やし築かれた。だがあっけなく砕かれ、街は流された。 明治(1896年)の大津波では1859人の死者・不明者を出し、浸水した平たん地で生き残ったのはわずか36人。昭和(1933年)の大津波では全被災地の3分の1に近い911人の命が奪われた。いつからか「津波田老」とまで呼ばれるようになる。 津波への恐れを、どこよりも感じ、十分に備えていたはずだった。それでも200人近い死者・不明者を出したのはなぜなのか。記者は街を歩いた。