昨日につづき『吟遊星』主宰者・編集者の御沓幸正氏の作品を。『吟遊星』12号、 1981年掲載、猿真似太夫「狂歌書」より。 《 見渡せば飯もうどんもなかりけり裏の蕎麦屋の秋の夕暮 夜もすがら契りつゞけて明けぬればほとほと萎えていたく眠たき 京たちて明日のあふみは片はらよ新幹線で日帰りこそ 無邪気さのかくれんぼこそ上手なれ末は苦しく横恋慕する 年寄のたゞ楽しみの朝寝をば孫子のおきなおきなとぞ呼ぶ 乙女ごは魚のやからか糸をたれ釣らんとすれば餌を取って逃ぐる 夕焼けに君をまつかなうそ寒くまつ正直に秋は来にけり 牛飼が牛飼ふ時に世の中の牛肉の値が大いに上る 北にゐて南をみれば左より右へ行く人みな西を向く 》 『吟遊星』13号、1981年より御沓幸正「事件」。 《 1 町長がひとり 韃靼海峡で行方不明になった 奥さんは台所で 皿割れた 2 春日神社の鹿の群れを 馬がゆっくり横切っていく
GIMPで作りました。 月に梅…? タイトルにいまいち自信が無いのは、ネットで検索してもほとんどひっかからないからです。 海外のPinterestのアカウントにピンされているのは山ほど出てくるんですが、日本語の資料が、ネットにはほとんどない…ではネット以外でどこを当たったらいいのか、途方に暮れてしまうのが現代人のダメなとこです。 小原 古邨(おはら こそん、明治10年(1877年)2月9日-昭和20年(1945年))は、明治時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。 古邨による版画は写生に基づいた写実的な作品で、海外において特に高い評価を得ており、平成13年(2001年)にはアムステルダム国立美術館において、日本人作家として初めてとなる大規模な回顧展(パート1、2001年3月31日~5月13日、パート2、5月16日~7月1日)が開催され、同館所蔵の小原古邨による日本画及び木版画180点が
明治10年代から昭和20年代の木版画を紹介するサイトとしてスタートしましたが、 小原古邨・祥邨を紹介するサイトとして、大幅にリニューアルしました。 作品の分類は、原則として版元で分けています。版元は、滑稽堂・大黒屋・松本・渡邊・版元不明の5つに分類 しています。西宮や酒井・川口等は版元不明に入れています。 小原古邨に関しては、ここ数年各地で展覧会が開催され、最近新しい情報が出始めています。新情報も踏まえて訂正すべき箇所が多く ありますので、徐々に修正してゆきたいと思っています。 また、現在は過去に少しずつ調べた古邨や新版画関係の資料ノートを纏めた 小原古邨研究ノート「小原古邨作品と板元」を今月出版しました。(2023年7月中旬よりアマゾンで 販売しています)。 しかし、その後 MATSUMOTO PRINTに関して、古邨研究者の小池満紀子氏から情報提供があり、訂正すべき多くの事実がわかって
枯山水についてぼくがどう考えているかは、一番の核心部分だけは『山水思想』(五月書房)に書いた。水を感じさせるために水を抜いた枯山水は、日本人の究極の「引き算の美学と思想」をあらわしていた。そこには「負の山水」こそが真の「胸中山水」であるということが見えている。 しかし、枯山水をいろいろ語るとなると、もっとたくさんの言葉が必要になり、枯山水の歴史を語ろうとすると、もっと精密な検証の目というものが必要になる。ましてこれからの枯山水の在り方を語るには枯山水を中軸においた空間デザインの将来を、どこまででも語る必要がある。 いま、どこのホテルのテラスにも用意されている枯山水ほど、ひどいものはない。ということは、これはどこかで枯山水の思想が歪み、形骸化してしまったのである。それゆえ、こういうときこそは枯山水の本格的な思索こそが要求される。 ぼくもそのことをしないわけではなかったけれど、ある日、重森三玲
The original comic book source images of Pop Artist Roy Lichtenstein.
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