買い占め防止ポスターを描いてみた。…えっと、ごめんなさい!!
ある人との会話。「(旧日本軍のように)上層部が管理能力がなく、中堅幹部が事実上の意思決定をしてしまう組織は交流分析的にどう解釈されますか?」「ええと、そのような状態はすでに組織ではありません」
b:id:gingin1234さんが、なぜあーいうブコメやコメント*1をあちこちでしているのか理解できた。 「差別者の世界のリアリティは<あなたたちの世界>によって脅かされている、と感じられている。それでも自己のリアリティを固持するためには、別のリアリティの存在を意識の内部で抑圧しなければならない。見えているものすら見えなくなるのはここである。他者から不意打ちされ、世界を奪われるかもしれないという<根源的社会的不安>に促されて、逆に他者に不意打ちをかけ、世界を剥奪しようとするのである。」 (前田朗Blog: ヘイト・クライム(1)より) *1:例えば、エントリとまったく関係のない「自衛隊員を人殺し呼ばわりする左翼」というコピペをあちこちで20個以上連投したり、「在日朝鮮人が差別にあおうと自業自得」「日本から放り出すべき」、被爆者は「鬱陶しい」という罵りをあちこちで書き込んだり(ry
11月25日は三島由紀夫の命日、つまりいわゆる「三島事件」のあった日である(1970年)。 ぼくはこの事件のとき、もちろんまだ子供だったが、当時フジテレビの「3時のあなた」という人気のワイドショー番組があり、学校から帰宅すると、事件のことを緊急特番的まに報じていたのを、忘れない(しかし、もっと後の時間だったかも知れない。番組が延長されていたのか?)。 三島については、名前は何となく知っていたようである。 そして、それ以外の記憶というのはないのだが、ただ一つの強い印象としてあるのは、この事件が、その後長い間社会の全体か、少なくともある人たちの間に、何か重しのようなものを残したらしい、という感じである。 それは、テレビや雑誌や新聞などの情報に接していて、そんな感じを持ったのであろう。 だが最近、この事件に関して語られていることを読むと、当時の雰囲気が忘れられた、なかったことになされてしまってる
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