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て:哲学とせ:戦争犯罪に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 「世紀と赦し」 - Arisanのノート

    先日、古屋で雑誌『現代思想』のバックナンバー、2000年11月号、「和解の政治学」と題された特集の号を見かけて買った。 ちょうど「女性国際戦犯法廷」が準備されてた頃のもので、鵜飼哲、高橋哲哉両氏による同名の討議が、目玉になっている。 そして、この両氏の師にあたるジャック・デリダへのインタビュー「世紀と赦し」が、鵜飼氏の訳で載っているのだが、その一節が、たいへん印象的だったので、感想を書いておきたい。 それは、次のようなデリダの言葉だ。 他方では、「和解の実際的プロセス」という表現を使われたときあなたが指示されたことが「政治」と呼ばれるものなら、その場合には、これらの政治的緊急性を真剣に受け取りつつも、私はまたこうも考えるのです。政治的なものによって、とりわけ市民権によって、ある国民国家への規約上の帰属によって、私たちはすっかり定義されているわけではないと。一切の制度、一切の権力、一切の法

    「世紀と赦し」 - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/03/07
    "「赦し」は、国家や、それと同一化した私たちのためにもたらされるわけではない。そうデリダは言っているのだ。"
  • サルトル『植民地の問題』 - Arisanのノート

    植民地の問題 作者: J.‐P.サルトル,Jean‐Paul Sartre,多田道太郎,鈴木道彦,浦野衣子,渡辺淳,海老坂武,加藤晴久出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2000/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 17回この商品を含むブログ (3件) を見る おそらく、サルトルの数多い著作の中でも、日でもっとも広く読まれてきたもののひとつだと思うが、そのなかから、ここでは「ヴェトナム戦争犯罪国際法廷」いわゆる「ラッセル法廷」に関連する文章のひとつ、「ジェノサイド」の一節をとりあげる。 同法廷で議長を務めたサルトルは、この文章で、アメリカによるヴェトナムでの軍事行動が「ジェノサイド」と呼ばれるべきものであることを論証していく。 この論証の全体は鬼気迫るものだが、私がもっとも関心をひかれたのは、ヴェトナムに送り込まれて残虐行為を行うアメリカ兵たちについて述べられた箇所である。

    サルトル『植民地の問題』 - Arisanのノート
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