先日、古本屋で雑誌『現代思想』のバックナンバー、2000年11月号、「和解の政治学」と題された特集の号を見かけて買った。 ちょうど「女性国際戦犯法廷」が準備されてた頃のもので、鵜飼哲、高橋哲哉両氏による同名の討議が、目玉になっている。 そして、この両氏の師にあたるジャック・デリダへのインタビュー「世紀と赦し」が、鵜飼氏の訳で載っているのだが、その一節が、たいへん印象的だったので、感想を書いておきたい。 それは、次のようなデリダの言葉だ。 他方では、「和解の実際的プロセス」という表現を使われたときあなたが指示されたことが「政治」と呼ばれるものなら、その場合には、これらの政治的緊急性を真剣に受け取りつつも、私はまたこうも考えるのです。政治的なものによって、とりわけ市民権によって、ある国民国家への規約上の帰属によって、私たちはすっかり定義されているわけではないと。一切の制度、一切の権力、一切の法