1、イントロ:研究の背景 皆さんこんにちは。私の学生時代の所属は基礎科学科の物性物理でした。しかし、社会問題の解決に貢献するために理科系の文転もいいかなと思って、統計学の勉強を始めました。スタンフォードで4年間、そして帰ってきてから世の中のためになるように、私の理科系の学問知識と、社会科学系の知識を生かしたいと考え、研究を進めてきました。その後、原子力のリスクや環境リスクについての研究を橋本道夫先生から進められて始めることになりました。環境問題そのものを総合的に研究することは本当に難しいので、何か1つ専門を持って取り組んでいきたいと考えています。 2、今日の主題 今日は、環境学におけるデータの不充分性と意思決定判断の問題について、講義していきたいと思います。例えば、昨日、ハンセン病に関わる国家の責任を正式に国民に謝罪しました。これは大事件であります。国民のための政策の主体である国家が謝罪し
脱原発の集会や議論に参加していると、時折「この(フクシマ事故の)状況において、右も左もあるか。一致団結して危機を乗り越え、脱原発に向かうべきだ」という論調に出くわすことがある。僕はこれに若干の違和感を覚える。言っていることは正論だと思うんだけど、当たり前過ぎる、というか、なんで俺ら(=迷うことなく脱原発のアピールに動き出した「俺ら」)がそんなこと言われなくちゃいかんの?と感じてしまうのだ。 原発を推進してきたのは、どこの国か。アメリカであり、旧ソ連であり、日本であり、ヨーロッパである。そして最近では韓国であり、中国であり、インドである。つまり、・・・はじめから右も左も、資本主義も社会主義もへったくれもない。むしろ核保有国、そうでなければ将来の核保有の野心を持つ国にとっての技術的担保として、原発というものが選択されているように見える。 脱原発の動きに加わる僕、賛同するあなた、のような人にとっ
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。 「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。 究極のエコってのは活動しないことなんだからさ。自殺こそ最高のエコとか誰か主張し始めるぞマジで。人間が経済活動をすればするほど、電気は喰うしゴミは増える。当たり前のことだと思うんだけどね。確かに二酸化炭素は増やさないけど原子力発電で行き場のない核廃棄物を長期貯蔵してたりとかさ。 環境を考えるのはいいけど、自分の周辺でオナニー的なエコをぶちかましてるだけで、環境に負荷のかかる事業や活動は海外に依存しているとか。 何だろうね。ほんとに。
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