打坂地蔵尊 打坂地蔵尊(うちざかじぞうそん)は、長崎県西彼杵郡時津町(事故当時は時津村)にある地蔵菩薩。1947年(昭和22年)にバスの乗客・運転士の命を救い、殉職した長崎自動車(長崎バス)瀬戸営業所[注釈 1]の鬼塚道男車掌を称え、1974年(昭和49年)10月に長崎自動車が事故現場付近に建立した[1]。 長崎市と西彼杵郡時津町との境にまたがる打坂峠は、長崎への主要な交通路であった時津街道の時代から、急勾配の坂が続く街道最大の難所として知られていた[2][3]。峠は急勾配なうえ、片側が深い崖になっており、長崎自動車の運転手らから「地獄坂」として恐れられていた[1]。 当時の長崎自動車の路線バスは、戦中・戦後の燃料不足もあり、現在のようなディーゼルエンジンではなく、木炭を車体後部のガス発生炉で燃焼させ、発生したガスを動力源とした木炭バス(代燃車)であった[4]。木炭バスは比較的入手が容易な