ヘラクレアの戦い(Battle of Heraclea)は、紀元前280年、共和政ローマから攻められた都市国家タレントゥム(ギリシア名:ターレス。紀元前272年にタレントゥムに改称)の要請を受けた、ピュロス王率いるエペイロス軍とローマ軍の間で行われた戦い。 ピュロスは多大な損失を受けながらもこれに辛勝し、タレントゥムを守りきった。 タレントゥムはギリシアの植民地マグナ・グラエキアの一部だった。 タレントゥムの主な派閥のメンバー(フィロカリスやアイネシアスの下の民主主義者)はローマ人がタレントゥムに入るならギリシア人が独立性を失うという予想のもとにローマに反対していた。 タレントゥムのギリシア人は第3次サムニウム(サムニテス)戦争の後にローマ拡大を恐れるようになった。紀元前290年のサムニウムの降伏の後に、ローマ人はアプリアとルカニアに多くの植民市を設立した(ルカニアの中で最も重要な都市がウ