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2020-02-24 北魏華北統一の成功要因は道武帝の軍事集権化と後燕の官僚組織の奪取 ●北魏道武帝の軍事集権化 ●後燕の漢人官僚組織の奪取。 ●北魏道武帝の遺産を孫の太武帝がただ継承。 ●北魏の成功要因を知らなかった太武帝と孝文帝 北魏華北統一の成功要因は 道武帝の軍事集権化と後燕の官僚組織の奪取 である。 ●北魏道武帝の軍事集権化 道… 2020-02-16 慕容垂亡き後の鮮卑慕容部。後燕滅亡と北燕馮氏。 慕容垂死後の後燕、事の顛末。後燕滅亡までの推移と北燕 ●この項での登場人物まとめ ●ザ異民族「慕容垂」 ●鮮卑慕容部の絶対王者慕容垂の死 ●典型的異民族鮮卑慕容部の弱肉強食ー肉親相争う。 ●慕容宝から子の慕容会、慕容麟が分離独立、さらに叔父の慕容徳… 2020-02-16 晋の歴史が春秋戦国時代そのもの。 春秋時代 戦国時代にを語るにあたり、 春秋時代の晋という国の存在が重要である。
3日は薮だらけの大森城を歩いてからタクシーで久々利城へ移動、運転手さんに「可児郷土歴史館の向い側です」でOK。現地に久々利城に関する説明板が無いので簡単に。久々利城は可児市内では金山城に次いで2番目の規模を誇り縄張面積は18,000平方m、延元・正平(1336-70)ころ美濃国守護・土岐頼康の弟・土岐康貞が築城、後に土岐久々利氏を名乗りこの地方で勢力を奮ったが天正10年(1582)金山城主・森長可に攻め落とされた、とか。 例により余湖さんの鳥瞰図に(余湖さん、いつも勝手に使わせて頂いてすいません)歩いたルートを赤黒線で示し各所の画像を並べます。 余湖さんの鳥瞰図 可児郷土歴史館の向い側 危険で案内板の撮影不可 登城口、画像右奥の小さい<白=久々利城跡>に従って右折すると すぐにココ、井戸郭(?)への小口、画像左奥に騙し小口ような遺構あり 美しい古城の風景、画像左に三郭の切岸、右に大土塁、奥
ここでは、台湾の中央研究院漢籍電子文献の使い方について説明しています。 漢籍電子文献を利用する事で、今まで頭を悩ませた各種用例の原典の探源も一瞬で済み、そのような下調べの時間節約や思わぬ用例の発見にもなります。少なくとも「用例無し!」と論文等で言及する場合、このようなオンライン検索で探しておく事で、説得力がかなり違ってきます。 漢籍電子文献とは 台湾の国立研究機関である中央研究院のWebサイトでは、多くのデータベースを公開しています。 その中で、古典系の漢字文献を扱う研究者にとって、[漢籍電子文献(バージョン1:現在存在しません)(バージョン2)]がよく利用されます(現在では新漢籍全文資料庫として新しいバージョンも公開されています。)。 このデータベースは、無料公開エリアと有料公開エリアとに分かれていますが、無料公開エリアだけでも著名な古籍が万遍なく網羅されており、また近代や台湾の資料も見
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周王が諸侯に領地を与え、諸侯は世襲でその領地を治める諸侯の力が強くなって群雄割拠となる秦領地は皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める中央集権に対して地方から反発が起こる前漢中央は直轄とし、地方は皇族の世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る皇族の力が弱くなったことで外戚が専横後漢外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する外戚に代わって宦官が専横後漢宦官の悪政に対する反乱を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する地方豪族が強大化して群雄割拠となる魏地方豪族の力を弱めるため、官吏が地方の人材を推挙するよう改める官吏が人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する魏後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる晋皇族の力を強めるため、皇族を優遇する皇族同士の内乱が起こる晋皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる異民族に滅ぼされて群雄割拠と
大阪府文化財センターが発掘調査を行ってきた大阪市中央区大手前の医療施設建設予定地で18日、現地説明会が開かれた。豊臣期の大坂城を防衛していたものの、冬の陣後に埋められた堀の一部が400年ぶりに出土。折しも夏の陣400年で盛り上がっているだけに、多くの歴史ファンが詰めかけた。 現地説明会が開かれたのは、大阪城公園の西側で、府庁本館と府警本部にはさまれた一角。史料によると、豊臣大坂城の二の丸大手口を防御するため、南北および西に向かってにらみをきかす逆コの字型の堀が築かれていた。冬の陣の講和後、他の堀とともに埋められたとされてきたが、発掘調査場所から堀の一部が見つかった。 堀は南北方向に延びており、長さ約11メートル、幅約18メートルで、深さは約2・6メートル。別の場所で見つかっていた部分を含めて、堀の長さは南北240メートルにおよぶ。しかも、徳川期に堀の上の部分が削られたとみられるが、削られた
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歴史に絶対の正解はない。何が起きたのか、本当はどんなことがあったのか、それを知ることは後の時代の人間には基本的に不可能である。その時、その場に居合わせた当事者だけが「何が起きたか」を知っているし、その当事者ですら事態の全貌を把握することは困難だ。歴史に「真実」なるものがあるとしても、それは人間の手が届かないところにある。 歴史書などで「事実」として紹介されている話は、あくまで「もっとも蓋然性の高そうな仮説」に過ぎない。その仮説を裏付けるのは、例えば物的証拠であったり、あるいは一次史料という名の目撃談だったりする。しかし、物的証拠や一次史料の解釈は必ずしも一通りではないし、歴史上の事件においてはしばしば証拠や史料が欠如していることもある。少ない証拠を元に異なる解釈をする研究者が登場すれば、そこに論争が生じる。 もっとも、論争が生じるのはそうしたケースだけではない。時に、証拠や史料を欠いている
2012⁄11⁄18 家久君上京日記にその八 下関へ到着編 追加 2012⁄11⁄11 家久君上京日記にその七 豊前国偵察編 追加 2012⁄ 3⁄ 6 鶴松館よりお知らせの催しもの情報更新 2011⁄12⁄20 日向守つれづれの「絶好調の妙円寺詣り」追加 2011⁄12⁄20 日向守つれづれの「薩摩ISHIN祭に参加」追加 2011⁄10⁄ 9 鶴松館よりお知らせの催しもの情報更新 2011⁄ 9⁄20 IE最新版で発生するJavaScriptエラー回避策を実施 2011⁄ 7⁄18 佐土原城の歴史を大幅修正 2011⁄ 7⁄ 9 家久君上京日記にその六 感動の英彦山編 追加 2011⁄ 7⁄ 3 家久君上京日記にその五 高良山の出会い♥編 追加 2010⁄12⁄ 2 日向守つれづれの「豪雨の妙円寺詣り」追加 2010⁄10⁄ 2 謎の事件簿「西国光物」UFO事件が解決しました(笑) 2
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