ワルシャワ市民たちは“Godzina W”と呼ばれるこの日、孤立無援の状態となりながらも、命を懸けて戦った英雄たちに向け、そしてまた犠牲となった人々に向け、毎年黙祷を捧げ続けている。 ナチス・ドイツ軍に抵抗するポーランド国内のレジスタンス軍は、旧ソビエト軍の呼びかけに応じる形で、武装蜂起に備えていた。ところが8月1日の蜂起日間近となった7月30日、ドイツ軍の反撃によりソビエト軍は進撃停止となった。この情報が国内軍には伝わらず、8月1日、約5万人のポーランド国内軍は蜂起を開始。 その兵員の大半が火器をもたない国内軍は、圧倒的物量装備を持っていたドイツ軍に押され、一緒に戦うはずだったソビエト軍にも裏切られた形(ソビエト軍はワルシャワ市民とドイツ軍両方が力尽きたところに介入しようと目論んでいたようだ。)となり、蜂起は失敗に終わる。9月末には国内軍はほぼ潰滅状態となり、市民の死亡者数は18万人から