嘘の可能性があるから注意?という感じの書き込みを見て、そういえばそういうプロモーションだと思われたり素敵な短歌を踏み台にした創作だと勘違いされたりしたら迷惑がかかると思い削除しました。
1978年東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」としても活動中。 前の記事:「写ルンです」のレンズを再利用した「Utulens」がエモ楽しい 「カメさんキャンプ」の思い出 子供時代の、ぼんやりとしていながらも、とても楽しい思い出がある。それが「カメさんキャンプ」だ。 あれはたぶん、僕が小学校3年くらいのころから2、3年連続してだったと思うんだけど、カメさんキャンプと呼ばれるキャンプ体験に参加した。 埼玉県日高市にある「高麗(こま)」という自然豊かな町が舞台で、高麗駅は、僕の家のあった大泉学園駅と同じ、西武池袋線の沿線にある。埼玉、秩父方面へ下ること1時間ほどの距離だ。 その高麗駅から、はっきりとは覚えていないけれど、子供の足で歩けるくらいの距離に「カメさん」というおじさん、いやお兄さんか? 当時、僕らと同じくら
最初は戸惑いを覚えた「穴子役」 主流だった洋画の吹き替えのほかにも、だんだんアニメ、CMとコンスタントに仕事が増えていった。一つ一つの仕事にそりゃ一生懸命だったよ。吹き替えは場数を踏んでいるからなんとなく口が合うんだけど、アニメは最初、口を合わせるのに苦労した。セリフのスピードからして、やっぱり映画とは違うからね。 今も続いている『サザエさん』の穴子役は30代に入ってから始めた仕事。そのとき、たまたま穴子役が空いたんだよね。当時のディレクターが僕に興味を持ってくれてたみたいで、その後釜に僕を推してくれた。 でも、穴子といったら、あの顔でしょ?(笑) 最初は戸惑いを覚えた穴子役(フジテレビ「サザエさん」公式ホームページより) 最初は違和感があってね。というのは、それまで僕はわりと整った顔の役しかやってこなかったんだよ。だから、穴子の顔を見て、この顔、できるかな……って思って。 実際何年か苦労
1,解説 新学年最初の授業は生徒も教師も、相手を探って独特な緊張感があふれています。 生徒は教師を値踏みしています。面白いか、つまらないか、怖いか、怒るか、甘いか、厳しいか、いい加減な人か、親身になってくれるか、教師集団の中で重いか軽いか、等等、、、。 この1時間目に、生徒にどういう印象を与えるかでその後の一年間の授業のやり易さが決まります。 同僚たちは自己紹介や、休み中の体験を話して、授業にはいるのが一般的のようです。生徒は、授業をしないことを熱烈に期待しています(私も高校時代はそうでした)。 できるだけ、彼らの期待にそれなりに応えながらも、単なる雑談でもなく、またこれからの授業に少しでも期待を持たせる。そんな作戦で考えたのが、「最初はお話をする」です。 2,ガウェインの結婚 これから一年間みなさんに世界史を教えることになりました。みなさんと顔を合わせるのははじめてですね。名前も顔も全然
中央アジア地域には、プロフと呼ばれるコメ料理がある。この話は俺が中央アジアを旅行中に、地元のおじさんが大鍋を振るって百人前くらいのプロフを作っているのを、ただぼんやりと眺めていただけの記録である。 ・・ まずは角切りにした羊の脂身を鍋に入れる。じっくりと熱して脂を煎り出す。 にんじんを刻む。シェフはこのおじさん。気取らない服装に民族衣装の帽子がクール。 鍋がでかい。とにかく鍋がでかいぞ。直径1m近くある。そしていきなりの開放感。日陰にいるのに、少し横を向くと真夏の強烈な日差しがちらちら目に刺さる。実はこのキッチン、屋外にあるのでした。 次に、羊肉を塊から切り出していく。 あ、キッチンの下に子猫。 こっちおいでー おじさんが羊肉を小さく切り分けてくれた。やさしいぜ。 さて、鍋のなかは今こんな感じ。たまねぎかな?いい色に揚がっている。羊のべったりした脂のにおいと、野菜が焦げる香ばしいにおいが混
アーティストとファンの関係ってなんなんですかね 十年間思えば毎日のように会っていたのに 家族よりも顔を合わせていて 振返れば電話番号も知らないんです。 思えばいつも会いに来てくれていましたね。 十年前の初めて私の予約出来て来てくれたのは渋谷の歌姫乱舞というイベントで 同じ事務所の違う子のファンだと思っていたのに「二週間ごとにローテーションしてる」なんてふざけて笑って じゃあ今だけ私のターンなんだね、なんて言って それから殆ど全部のライブに来てくれましたね。十年間。 一緒に青森も行ったし、クソみたいな箱も大きな会場も お花見、ストリート、ワンマンも具合が悪い時以外ほぼ全部来てくれたよね 顔を合わせることが当然のようで いつもそこに居るのが当然で だから手術後来なくなってSNSの更新が止まった時から みんなで心配して最悪の事態を想像しては打ち消して ひょっこり顔を出してくれるのを待っていたよ
私が初めてコミケに行ったのは、高校二年生の夏休みだった。 その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをして靴を履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。 人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。 早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。 当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。 他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。 取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~とい
実際にテロ組織に加入しようとする若者を引きとめたり、社会への復帰を支援したりといった活動を行う「イスラム系セクト感化防止センター(CPDSI)」の創設者によって書かれた1冊だ。 著者はセンターを創設した2014年4月から2015年末までに、1134人の若者を支援してきた。活動の現場で目の当たりにした事例と、得られた知見がまとめられたのが本書である。 著者らは相談者である親と連携し、子どものパソコンの中身や録音された電話の通話内容を調べ、親子との会話内容なども分析し、組織による洗脳や取り込みのプロセスについて事例を収集してきた。 子どもが過激思想に感化されていくことに困り果てた親たちの相談を受けてきた経験から、組織に取り込まれつつある若者の家庭での振る舞いが、どのように変化していくのかについて細かく書かれている。 洗脳が進むにつれ次第に、若者たちは組織が説くところの「宗教的実践」に従い始める
シャー・マライ(Shah Marai)は2018年4月30日、アフガニスタンの首都カブール中心部で起きた自爆攻撃を取材中、集まった報道陣を標的にしたとみられる2件目の自爆攻撃で死亡した。カリスマ性と勇気を備え、同国を苦しめ続ける紛争の報道に尽くしたジャーナリストだった。 このコラムは、マライ氏が生前、アンヌ・シャオン(Anne Chaon)記者と共同執筆し、パリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が英文に翻訳し、16年10月14日に配信された記事を日本語に翻訳したものです。 【11月9日 AFP】アフガニスタンにとって、米国が進攻を開始した直後は大きな希望に満ちた黄金の日々だった。タリバン(Taliban)に支配されていた暗黒の時代が終わり、ついにより良い生活への道を歩み始めたかに思われた。だが15年を経た今、その希望は消え去り、生活は以前よりもさらに過酷さを増している気がする
20年近くも前の話になる。 Tを知ってまず驚いたのは、「Tの部屋。ノックしてね」のドアプレートだった。子供部屋ならいざ知らず、老いた母親と2人暮らしのおっさんがメルヘンチックなイラストのあしらわれた木製プレートを自室の前にかけていたので、それを見た瞬間、わたしは何か人生のダークサイドを覗いたような気分になった。 Tはまともな仕事に就いたことがなかった。若い頃から失業保険や生活保護で暮らし、半引きこもりのようになっている間に太って心臓を患ったり、糖尿病にかかったり、腰を悪くしたりして障碍者手当を受けるようになった。そもそも、Tはパニック障害で飛行機に乗れないので旅行をするわけでもなかったし、女性と交際・結婚するなんてこともないし、酒も煙草も賭け事もしなかったので、生活する上でそんなに金はいらなかったのだ。彼の楽しみと言えば近所のパブで日替わりのセットランチを食べること(必ず行く前に電話して本
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