~急性期医療から介護・福祉、地域コミュニティに至るまで、超高齢化の進む日本社会のあり方を考える~ 2021年12月 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 2022年02月 前回の記事では、リスクをめぐる制度的専門知の問題点を指摘するなかで、制度的判断に再帰性を担保するためには、ローカル・ノレッジ(民衆知)を組み込み普遍/特殊の二分法を乗り越えることが重要であることを論じた。 ただし、明らかに非科学的なバイアスにさらされ、リスクを過大に評価する「素人の知」を組み込むことがあってはならない。それでは再帰性が働かず、社会が成り立たない。専門家の権威は適切に尊重されなければならない。制度的専門知にバイアスが存在しうることを言っておきながら、素人の知もまたバイアス
0788 KAGAKU Jul. 2012 Vol.82 No.7 17 世紀の思想家パスカルは「人間は考える葦 である」と言ったが,私たち現代人は深く考える ことなく, 「こうに違いない」と思い込んでいる ことが沢山あるようだ。そのひとつが「餠は餠 屋」のことわざ通り, 「科学技術のことは科学技 術の専門家に任せておけば大丈夫,任せておくの が一番」という思い込みではないだろうか。 パソコンの修理や一般的な病気の治療など,わ れわれが日常生活で出会う専門家が人々の期待に 十分応えてくれることは確かだ。しかし,新しい 科学技術の導入や規制に関する政策形成や司法判 断の歴史を振りかえってみると,そこには「餠は 餠屋」が通用しなかった事例集というべき足跡が ある。専門家の助言や判断によって社会に浸透し たり普及し続けた科学技術が,一定時間を経たの ちに,当初は見過ごされたり過小評価されていた
本論「その1」は、ルーマンの『社会システム理論』(1984)の意味論とダブル・コンティンジェンシー(二重不確定性)のトリックを明らかにする続編「その2」への前編にあたるものである。ルーマンのシステム論は〔システム/環境/世界〕の三区分を基本とするが、それと通底し照応関係にあるリスク論も、表向き提唱されている〔リスク/危険〕の二項対立図式ではなく、実際には〔リスク/危険/破局〕の三区分が基本となっている。本論は、ルーマンのそうしたリスク考察やシステムを、破局世界に距離をとり、その巨大な災厄の襲撃をそらしすり替える(=縮減する)ための抽象的な多重隠蔽装置として明らかにする。その隠蔽の極意は、無限の不確定性・未規定性を有限で僅かの擬似的な不確定性へと根拠なくすり替える操作にあり、その後に初めて、疑似的な不確定性(毒抜きされ馴致されたリスク)が可視化され、それを基底として意識(個人・心理システム)
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