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批判に関するcham_aのブックマーク (3)

  • 批判はかわさず、それで受けた傷口を観察する - そこにいるか

    十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、非イスラーム・近代主義の立場から、『女性解放』(1899)を著すなどし、「エジプトフェミニズムの父」と呼ばれる弁護士のカースィム・アミーンが「一夫一婦」を称揚する運動を行ったことについて、人類学者で、女性・ジェンダー研究に携わるライラ・アブー=ルゴドが、『「女性をつくりかえる」という思想――中東におけるフェミニズムと近代性』のなかで、こう批判する。 私は(略)次のように主張する。アミーンは女性の権利、教育、就労について語ってはいるが、そうした主張を展開することによって彼が当に奨励しようとしていたのは、近代ブルジョワ家族という家族組織と、そこで理想とされる夫婦愛や科学的な育児であった、と。アミーンが推奨した近代ブルジョワ家族は、のちの西洋フェミニスト、マルクス主義者、そして二十世紀後半の社会理論家たちによって、今では女性に強いられる服従の原因として非難

    批判はかわさず、それで受けた傷口を観察する - そこにいるか
    cham_a
    cham_a 2010/04/12
    「無謬の批判者が現われないかぎり真剣に内省に取り組まないというのは、知性にとってずいぶん不幸な話ではないか」
  • マジョリティにとって「黙殺しさえすれば勝ち」という状況でマイノリティにヌルい抗議しか許さないのは現状追認と同じ - apesnotmonkeysの日記

    はてなブックマーク - 台湾女性議員を告訴へ 靖国神社で過激デモ:産経関西(産経新聞大阪社公式ニュースサイト) この件については右派からの高金素梅氏に対する誹謗が出てくるのは当然として、「抗議するのはいいけどやり方がね」という“良識的”な反応が予想される。だが同じ論法が例えば在特会についても使われたことに留意しなければならない。植民地主義の残滓(しかし当に残滓と言ってよいのか?)に対する抗議と排外主義とを等価なものとしてしまうような観点は断固として拒否しなければならない。 ある種の議論においては、多様な見解が存在すること自体に価値を認めることができる。そのような議論において各論者はもちろん自説の正当性をアピールし支持者を増やすことを目指すだろうが、異論の持ち主がいなくなることを目指すわけではない。例えば、私は新自由主義者がこの世からいなくなることを望まない。しかし差別や排外主義や歴史

    マジョリティにとって「黙殺しさえすれば勝ち」という状況でマイノリティにヌルい抗議しか許さないのは現状追認と同じ - apesnotmonkeysの日記
    cham_a
    cham_a 2009/12/29
    しかし「手紙を送る」という手段にしても「抗議の手紙を送ろう」呼びかけには「言論封殺だ!」と噴き上がりそうな気が/結局は自分達が「気にしなくていい」程度に騒ぐんなら「まぁやってもかまわないよ」という話
  • 「そんなつもりじゃなかった」ら議論や批判は免れられる(べき)か - 誰がログ

    以下のエントリを読んでいたらニセ科学批判活動についても他人事ではない様な気がしてきたのでちょっと考察してみます。 2008-03-06 考察の前にちょっと前置き。上記エントリと同ブログ内での関連エントリ、他ブログでの言及エントリやはてブコメントを読んでみるとどうも話題の中心はいわゆる「はてブのネガコメ(を付けるブックマーカー)」のようなのですが、このエントリでは特にははてブに特化した考察は出てきません。あと、相変わらずだらだら長いです。 考えてみたい主張 何回か読んでみたのですが、どの一文が結論というか核の主張なのか僕には選び出すことができませんでした。とりあえず、気になったのは次のような表現。 こういうふうに「議論を広げるため」とか「そのほうが面白くなるから」という理由で、「自分が実際にそう思っていないこと」をブックマークコメントに書くのは、「お門違い」というか、基的に「失礼」なのでは

    「そんなつもりじゃなかった」ら議論や批判は免れられる(べき)か - 誰がログ
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