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地震に関するcham_aのブックマーク (86)

  • 大阪市 旭区 東日本大震災被災者による防災講演会 その1

    平成24年2月11日(土・祝)、旭区民センター大ホールで東日大震災被災者による防災講演会が開催されました。  講師の熊 正紀さんは宮城県石巻市で被災し、津波に巻き込まれながらも九死に一生を得られた方です。その体験談は想像を絶する過酷なものでした。  熊さんを紹介している新聞記事はここで。(顔写真も出ています) 以下は、私が殴り書きのメモとあいまいな記憶で再構成したもので、正確なテープ起しによるものではありません。細部の誤りはご容赦ください。ただ、大筋は間違っていないと思います。スピード重視で載せさせていただきました。 以下の太字部分が熊さんのお話の内容です。 3月11日、その日はとても暖かい日でした。私は事務所兼工場である建物の1階にいました。  突然、大変な地震が起こりました。地割れが起こり、立っていられなくなりました。  私は、地震の時の「常識」に従ってスチール製の机の下に入

  • 保育中の園児死亡ゼロ…避難訓練・機転が命守る : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    東日大震災により宮城、岩手、福島の3県で被災した保育所が315に上り、このうち全壊や津波による流失など甚大な被害のあった保育所が28以上あることが13日分かった。一方で、保育中だった園児や職員で避難時に亡くなった例はこれまでに報告ゼロであることも分かった。 3県から厚生労働省に報告された被災保育所の件数は、宮城県で243件(うち全壊・津波流失は16件)、岩手県で34件(同12件)、福島県で38件。福島県については被害程度の内訳は分かっていない。 乳幼児を預かる保育所は、各種災害を想定した避難訓練を毎月行うことが義務づけられている。大地震が襲った3月11日午後2時46分は、保育所では昼寝の時間帯だった。保育士らが園児を起こして身支度させ、乳児をおんぶするなどして集団避難したとみられる。避難時の状況を保育所から聴取した宮城県子育て支援課によると、異常な揺れを感じて日頃の避難ルートをやめ、さら

  • asahi.com(朝日新聞社):津波に耐えた木造100年工法 木材つなぐ金具に工夫 - 社会

    津波でも流されなかった歌津公民館=4月28日、中島写すKES構法のイメージ図  東日大震災の大津波に流されなかった木造の建物があった。建築会社「シェルター」(山形市、資金5千万円)を営む木村一義さん(61)が、「100年たっても大丈夫な木の建築を」と手がけた工法でつくった施設だった。  津波に耐えたのは、宮城県南三陸町の歌津公民館と同県石巻市の北上総合支所。公民館は、周辺の建物のほとんどが流されたなかに、ぽつんと残る。支所はコンクリート部分と比べて、木村さんの工法をつかった木の部分は傷みが小さかったという。  木村さんは大工の4代目として建築を学び、米国留学もした。木材と木材をつなぐ金具の工夫で、木の強さを引き出す「KES構法」と名付けた工法を編み出し、1974年に会社を起こした。  柱の部分、つまり構造体だけの価格は、ふつうの木造より5〜10%高くなる。リフォームの際に導入できる場合

  • 東日本大震災以降の大きな地震まとめ(2011年4月22日) - 日直予報士 - 日本気象協会 tenki.jp

    3月11日の東日大震災以降に発生した最大震度5弱以上の地震をまとめました。 震災から1ヶ月以上が経っていますが、余震も多く、また地震活動が活発になっていますので、大きな地震が頻繁に発生する状況が続いています。 気象庁は昨日(21日)に発表した「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について(第40報)」で、 これまでの余震について、M7.0以上は5回、M6.0以上は73回、 M5.0以上は425回、また最大震度4以上を観測した余震は121回。 今後の余震の見通しとしては、 期間最大震度5強以上

  • どうして日本人は泣かないのかしら:日経ビジネスオンライン

    東日大震災から1カ月が過ぎた頃、私はちょうど香港、広州を旅行中だった。地元の記者、編集者らと会うと、自然に大震災取材の話となった。 今回ほど各メディアが勢力的に現地に記者を派遣したケースはまれだと言う。日大使館の発表では3月11~14日の間、記者を対象に臨時で発行した緊急取材ビザは60件以上で、中国メディアの東京特派員やちょうど別件で東京出張取材を行っていた記者なども含めれば初期段階に100人以上が被災地入りし取材したと聞いている。 CCTV(中国中央テレビ)は私が聞いただけでも地震発生後2日目から5組のカメラクルーが入っている。聞けばヘリコプターをチャーターして最前線取材を行ったそうだ。香港衛星テレビのフェニックステレビも少なくとも2組のカメラクルーが入り、防護服も用意していたという。そういう潤沢な資金で縦横無尽に取材する大メディアだけでなく、地方の都市報や週刊誌まで精力的に記者を被

    どうして日本人は泣かないのかしら:日経ビジネスオンライン
    cham_a
    cham_a 2011/04/20
    日本の記者で本社からの帰国命令を受けてここまで頑張れる人がどれだけいるんだろう
  • 朝日新聞GLOBE|海外救援隊と日本 -- 外交の舞台では

    [Part1] 日米「史上最大」の支援作戦 震災発生後の米国の動きは速かった。 オバマ大統領は記者会見で「悲劇に胸が張り裂けそうだ」と答え、「最も関係が強くて緊密な同盟国」を強力に支援するよう号令をかけた。 米空母「ロナルド・レーガン」の甲板で、菓子、冷凍野菜などの救援物資をヘリコプターに積み込む隊員たち=3月22日朝、宮城県沖で。河合博司撮影 太平洋を航行していた原子力空母ロナルド・レーガン、シンガポールにいた第7艦隊の旗艦ブルーリッジ、マレーシアにいた強襲揚陸艦エセックスは、行き先を被災地へと変更した。 「トモダチ作戦」と名付けられた最大級の災害支援が始まった。 国防総省によると、3月27日現在、「トモダチ作戦」に携わるのは米兵約2万人、艦船19隻、航空機140機など。 自衛隊との協力は密接だ。米海軍と海上自衛隊の将校がそれぞれ相手国の護衛艦や空母に乗りこみ、連絡をとりあう。陸上自衛隊

  • NHK「かぶん」ブログ:NHK | 科学と文化のニュース | 「リポート・命を救った情報ライフライン」(科文・西村敏記者)

    情報の重要性を改めて思い知らされる毎日ですが、震災の直後に、まさに命をつないだ情報がありました。宮城県気仙沼市であった奇跡的な情報リレーについてお伝えします。 (4月15日にニュースウオッチ9で放送したリポート内容を掲載します)   【震災直後に情報を発信し続けた自治体】 気仙沼市危機管理課の伊東秋広さん。 震災が起きたとき、防災情報の発信を担当していました。 地震の直後から市役所は停電。次々に通信手段が失われる中、最後までつながった携帯電話の回線をつかい、ツイッターで防災情報を発信しました。 気仙沼市危機管理課 伊東秋広さん 「住民にはとにかく助かってほしいと。この情報を見て助かってほしい。今思いつく(発信手段)はこれしかないっていうところがありましたので。」 携帯電話は、基地局が地域の高台にあったため津波の被害を逃れ、非常用の電源で数時間は通信することが出来ました。 市役所の屋上から撮

    cham_a
    cham_a 2011/04/18
    英国にいて気仙沼の状況をTVで観ながら母親から「火の海」というメールを受け取った気持ちは想像を絶するな…
  • しりあがり寿さんによる、岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録

    しりあがり寿 @shillyxkotobuki 備忘録2 東京の渋谷から盛岡まで高速で7時間くらい。途中多少デコボコがあって夜は気をつけたほうがいいかも。自衛隊や警察の特殊車両のオンパレードでした。 2011-04-16 14:08:29

    しりあがり寿さんによる、岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録
    cham_a
    cham_a 2011/04/17
    「大切なのはありがたいメッセージや技術を伝えることでなく、気晴らしになるコミュニケーション」
  • 47NEWS(よんななニュース)

    重度障害者向けのグループホーム、自治体の3割が「問題がある」と運営実態に懸念 新潟市は「どちらかといえば問題がある」、全国の自治体調査

    47NEWS(よんななニュース)
    cham_a
    cham_a 2011/04/15
    正しきブンヤ魂
  • 千羽鶴の幸せな行方は、なんとジェフ・ベゾスのおかげだった! - michikaifu’s diary

    昨日、わが息子の通っている中学(Middle School)にて、毎年恒例の「マルチカルチュラル・フェア」が開催された。前から私は、日ブースの企画チームの一員で、剣道のパフォーマンスを知り合いにお願いしたり、日出張時に我が中学で大流行中の「ハイチュウ」(アメリカで売っているバージョンでなく、日で売っているモノが特に貴重とされている)を調達したりなど、(料理やクラフトや飾り付けが大の苦手な私なりの)役割をいただいてごちゃごちゃやっていた。 たまたま大震災のため、ブースで単に「展示」のつもりだった折り鶴は、「折ったものを日に送る」という話が持ち上がった。わがブース委員会からの話ではなく、地元のガールスカウトがそういう運動をやっているので手伝ってくれと言われた、ということだった。 しかし、以前にハイチの地震のとき、「ハイチに千羽鶴を送ろう」と言いだした人が「アホか」とネットで叩きまくられ

    千羽鶴の幸せな行方は、なんとジェフ・ベゾスのおかげだった! - michikaifu’s diary
    cham_a
    cham_a 2011/04/13
    「折り鶴なんて役に立たない」と切って捨てないでその善意をどうにかして役に立てる方向にもっていく、この辺はアメリカの柔軟さだなあ
  • キーワードは「絆(きずな)」 - Japan Real Time - WSJ

    毛筆体で大きく「絆」と書かれた下に、「絆に感謝します」と続く。ウォール・ストリート・ジャーナルなど英字紙3紙のほか、中国の人民日報、韓国の朝鮮日報、ロシアのコマーサント紙、フランスのル・フィガロ紙の計7紙に、それぞれの国語に訳し分けて掲載した。新聞広告以外に、支援をしてくれた国々の日大使館のホームページにもお礼の言葉を載せているそうだ。 一部を紹介しよう。 「一杯のスープが、一枚の毛布が、冷えた心と体を温めてくれました。捜索隊は、ガレキの山になった街で同胞を懸命に探してくれました。医療団は傷ついた心と体を献身的に治療してくれました。(Every Blanket and every cup of hot soup brought warmth and strength to the cold and exhausted who had lost everything. Rescue tea

  • 一番先に物資を届ける!~シダックスの震災支援 OJT研修・取材体験1 « グラウンドワーク三島×ダイヤモンド社のインターンシップ

    cham_a
    cham_a 2011/04/12
    「シダックスグループは食を中心とした総合サービス企業」「食材調達・食材を運ぶ物流ルートを独自で持っている。このことが、”東北地方太平洋沖地震”の救援活動に当たり強みとなった」
  • 長文日記

  • 【東日本大震災】津波から児童生徒3000人全員を救った釜石の3つの秘訣 - MSN産経ニュース

    津波から、自分の命を守り抜いた子供たちがいる。岩手県釜石市立の14の小中学校全校は、校内にいた児童生徒約3千人全員が無事。掛け替えのない命を救った独特の防災教育に注目したい。 釜石市で防災教育に携わってきた群馬大学の片田敏孝教授(災害社会工学)は子どもたちに呼び掛け続けてきた。要点は三つ。一つは「想定を信じるな」。市教委とともに各地の津波浸水状況、避難経路を想定したハザードマップを作った。子供に登下校時の避難計画も立てさせ、基礎知識を刷り込んだ。しかしあえて「その想定を信じるな」と教えた。想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなるからだ。二つ目は「その状況下で最善の避難行動を取ること」。事前にどんな想定をしても、実際の津波は単純ではない。三つ目は「率先避難者たれ」。人のことは放って置いてもまず自分の命を全力で守ること。「必死で逃げる姿」が周囲への最大の警告になるからだ。

    cham_a
    cham_a 2011/04/11
    digで聞いたが元は子供の為ではなく地域全体の防災意識の向上の為に「大人に避難訓練をやっても一部しか来ない。まずは子供の意識を変えないと」と始めたそうな/そして目的通り老人や周囲の大人の避難にも結びついた
  • 宮城県女川町職員が消防隊員を「先日の地震で好き勝手にいろいろやってくれた消防隊員の連中です」と暴言

    黒井真三@このあと滅茶苦茶ワインダーした @g616blackheart (1)ついに今日、女川町職員のどうしようもなく腐った面を見てしまったので(まあ、これまでもあったけど)これから書く。できるだけ拡散をお願いしたいし、ネットだけに限らずテレビ、新聞、雑誌などマスコミにも取りあげてほしい。 2011-04-10 23:27:14 黒井真三@このあと滅茶苦茶ワインダーした @g616blackheart (2)夜、外でコンロで火を点けて酒を飲んでいた人がいて、それを注意、撤去させた職員がいた。コンロは現在特定の場所でしか使用が許可されていないのでまあ、ここまではわかる。しかし、この相手はボランティアの消防隊員だったのだ。 2011-04-10 23:32:20

    宮城県女川町職員が消防隊員を「先日の地震で好き勝手にいろいろやってくれた消防隊員の連中です」と暴言
    cham_a
    cham_a 2011/04/11
    自分の職域に知らない他人が入り込んであれこれやってる事への苛立ちというのがあるのかも/ボランティアの人達への感謝は表に示され、自分達職員へは不満がぶつけられるという状況などもありがちだし
  • 石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    多くの児童が北上川(上)を逆流した津波に襲われて亡くなった大川小(9日午前、宮城県石巻市で)=冨田大介撮影 東日大震災で全校児童108人のうち7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小で、被災時の状況が目撃者の証言などから明らかになった。 児童は集団で高台へ避難する途中、すぐそばを流れる北上川からあふれた津波にのみ込まれた。当時の様子が知りたいという保護者の要望に応えて学校側は9日夜、説明の場を設ける。 ◇河口から4キロ◇ 大川小は東北最大の大河、北上川右岸の釜谷地区にあり、太平洋に北上川が注ぐ追波湾の河口から4キロ上流に位置する。同県教委によると大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明になった。校長は震災当時、外出して不在だった。 保護者や住民らの証言では、児童は11日午後2時46分の地震直後、教諭らの

  • 手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島

    手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島2011年3月31日3時0分 印刷 Check 「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市 手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉美奈子撮影 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた

    手作り避難所、70人救った 10年かけ岩山に 東松島
  • 東日本大震災:2台の大型カートで難逃れ 石巻の保育所 - 毎日jp(毎日新聞)

    幼児を救った大型カートで器などを運ぶ日野ゆり子所長(左)ら=宮城県石巻市長浜町で2011年3月28日午後2時27分、須藤唯哉撮影 宮城県石巻市長浜町の「市立はまなす保育所」では、職員が幼児を大型カート2台に乗せて津波から逃げた。海岸から約50メートル離れた保育所は大津波で壊滅したが、幼児8人と職員17人は無事だった。「幼い子供のよちよち歩きでは津波が到達する前に避難場所に着かない」と用意したカートが小さな命を救った。 地震が発生した11日、保育所では0~6歳の幼児約70人の大半が午後の昼寝の時間だった。強い揺れに襲われると日野ゆり子所長(58)は、布団をかぶって身を守る幼児に「大丈夫だよ」と声をかけ安心させた。 揺れが静まると、十数分の間に保護者が次々と迎えに来たが、1~5歳の8人が残った。町内では大津波警報の発令を知らせる防災無線が鳴り響いていた。日野所長は保育所から約500メートル離

    cham_a
    cham_a 2011/03/29
    「命を救った2台の大型カートは今、救援物資などの運搬に活躍している」
  • asahi.com(朝日新聞社):「沖へ」「陸へ」漁師の生死分けた一瞬の判断 大船渡 - 社会

    津波で破壊された岩手県大船渡市・吉浜湾の漁港。漁網やブイが散乱していた=15日、遠藤写す  東日大震災の大津波で、アワビやワカメの養殖で知られる岩手県大船渡市北部の漁港も壊滅的な打撃を受けた。約300人が加盟する吉浜漁協も施設のほとんどが破壊された。だが、吉浜湾内で操業中だった漁師の大半は難を逃れた。命を守ったのは、一瞬の判断だった。  11日午後2時46分、ワカメの間引きをしていた漁船約10隻を、地震が襲った。  「いつもの地震と違った」と柏崎寿さん(59)。船底からガタガタと大きな音がした。湾を囲む岬の森から、スギ花粉が山火事の火の粉のように舞い上がるのが見えた。  船上には、の久美さん(54)、次男の紘治さん(26)もいた。柏崎さんは作業を中断し、沖へ急いだ。水深約70メートル地点で停泊。津波が押し寄せたのは約15分後だった。「水面の上昇に合わせて船全体が浮き上がっただけ。全く揺

    cham_a
    cham_a 2011/03/29
    ホントに紙一重だ…
  • 【東日本大震災】報道映像がトラウマ テレビ局スタッフもPTSDに+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    街や車が津波にのみ込まれ、住民の生活の営みが一瞬にして消失した東日大震災。被災地以外でも繰り返し見た視聴者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が問題視されている。(夕刊フジ) 「テレビの映像が過激すぎるという視聴者の声をいただき、映像の編集にはかなり気を遣っています。ニューヨークの9・11テロの際も飛行機がビルに突っ込む場面が繰り返されたため、後に精神科医や心理カウンセラーを訪れる人が増えたと特派員から聞いています。3・11の映像も忘れられない衝撃でした」 こう明かす民放報道局デスクが、さらに顔を曇らせた。 「実はテレビ局内でもPTSDが問題視されているんですよ…。取材した映像素材の中には、多数のご遺体など悲惨さを極めた映像もあります。東京で編集するスタッフの間に体調不良を訴える者が出てます」 東京のキー局には、系列局が撮影した映像、視聴者提供の映像など、おびただしい映像が集まっている。

    cham_a
    cham_a 2011/03/29
    「衝撃映像」はネットに置いて「見るか見ないか」の能動的な選択を視聴者が出来るようにする方式にしたらどうだろ/TV視聴で「イヤなら見ない」選択は中々難しい