考と人に関するcampyのブックマーク (11)

  • 麻生太郎と森喜朗の失言はここが違う

    Pop On ! @smrppn [1]麻生太郎氏と森喜朗氏。2人の「失言」は似ているようで実は対照的。麻生失言の質は「大人の空間に《悪友=横の信頼関係》の言葉遣いを持ち込むことで生じる場違いな下品さ」、森失言の質は「大人の空間に《身内=縦の信頼関係》の言葉遣いを持ち込むことで生じる場違いな非礼さ」にある。 2014-02-23 18:49:44 Pop On ! @smrppn [2]決定的な違いがある。麻生氏は《話し手》と《聞き手》が《悪友=横の信頼関係》になるように「失言」するのに対し、森氏は《話し手》と《話題》が《身内=縦の信頼関係》であることを誇示するために「失言」する。浅田選手にあれを言ってアッケラカーのカーなのは保護者の気分で喋ってるからだ。 2014-02-23 18:58:18 Pop On ! @smrppn [3]麻生失言の起源は、総理の孫で親の代から財閥系、学習

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    campy 2014/02/22
  • 石原慎太郎「下品だからこそ大衆の支持を強く集めるのだ」 | Kousyoublog

    最近BSで偶然見た、おそらく地上波の再放送番組であろう故美空ひばりの特番に都知事時代の石原慎太郎が出ていて、美空ひばりと田中角栄を自身が生涯で出会った最高の人物の二人として称賛しつつ、うろ覚えだが「二人とも御世辞にも上品とはいえない。言い方は悪いが下品だ。でも、だからこそ大衆の支持を強く集めるんですよ」とかなんとか概ねそういった趣旨のことをにやりと笑いながら語っていて、妙に心に残った。(家族が見ていたものを偶然見ただけなので番組名や元番組の放送時期など不明、発言内容も不正確です。) 一つには、どうにもその論評が、自身も含んでいることを言外に表そうとしている、というか二人の論評に見せかけて石原慎太郎自身の自己顕示的な側面の方が強いと感じた――自身をその二人と並ばせようとする自己顕示欲と同時に、ある種のエクスキューズのようでもあった――からであり、もう一つには、政治家石原慎太郎の、賛否両論を巻

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    campy 2014/02/11
  • Joe's Labo : モリタクと考えるアベノミクスの行く末

    2013年03月11日20:00 by jyoshige モリタクと考えるアベノミクスの行く末 カテゴリ経済一般 アベノミクスは正しい。 だから、その実現のため、政府は日銀人事をアベノミクスに理解のある人間で 固め「大胆な金融緩和」を実施すべきだ。 そうすれば日は2年以内にデフレ脱却でき、日経済は再生できる。 なんなら私が日銀総裁をやってもいい。 「大胆な金融緩和」をやると国債の金利負担が急増し、国債価格の下落で 銀行がバタバタ倒産する。 だから安倍政権は大した金融緩和なんてやる気がない。 そもそも無制限の金融緩和も現実には不可能だ。 アベノミクスは参院選までの政治的パフォーマンスにすぎない。 この2つの文章を同じ人物が書いたと聞けば、みんな驚くのではないか。 その男の名は森永卓郎センセイである。 ちなみにオリジナル文章はともに朝日新聞社のweb論座で、一か月スパン で寄稿されている。

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    campy 2013/03/12
  • Google 辞めました - アスペ日記

    Google辞めました。 最終出社日は 5月11日。 5月31日まで有給消化。 その後は無職。 転職先が決まっていて有給消化している「なんちゃって無職」ではなく、ガチ無職。 とりあえずハロワでも行こうと思う。 まず初めに。 この記事は、Twitter で @takeda25 をフォローしてくれている人たちが想定読者だ。 また、これは相当長くなると思う。さらに、中ではたとえ話を使うので、読んでもさっぱりピンと来ないかもしれない。 だから、長い文章を読んで「読んで時間を無駄にした」と思うタイプの人は、ここで読むのをやめてほしい。 もう一つ。 この記事を書いた人間(真鍋宏史)は無名の一社員で、ろくに業績もない。 そういう人間が何かを言っても聞く価値はないと思うなら、やはり読むのをやめてほしい。 この記事では、自分のいた場所に対してネガティブなことも書くと思う。 そのため、なぜそういう行動を取るか

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  • 「"間違いを伝えることでパニックになること"を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>

    未曾有の被害を出した東日大震災から2012年3月11日で1年となる。この間、日では、政府のトップである首相が交代した。一方で、福島第1原発の事故処理や被災地の復興などは遅々として進まず、問題が山積したままだ。 震災が起こった2011年3月11日の翌日、当時の菅直人首相はヘリコプターに乗って上空から被災地を視察した。「首相が現地を見なければ、あんなに早い自衛隊の10万人出動はなかったかもしれない」。菅首相の視察に付き添い、その模様を映像に収めた内閣審議官の下村健一氏はこう回想する。 下村氏は、大学時代に「市民メディア」を志し、都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開設準備に携わった。また、TBS時代には、松サリン事件の報道などで活躍し、退社後、市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年10月、菅首相の政治任用で、広報を担当する2年契約の内閣審議官として内閣広報室に

    「"間違いを伝えることでパニックになること"を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>
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    campy 2012/03/11
    タイトルの部分だけでなく、端から端まで興味深い記事だった。ツイートの件もそうだし、ヘリで現地に向かった顛末もいい。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    12月3日韓国に戒厳令が宣言された。そして寒空の元に届けられるコーヒー。 12月3日22時半ごろ、 どういうわけか尹錫悦大統領により非常戒厳が宣言された。それについて、韓国で生活をする私の視線で記録をしておきたいと思う。今週は書きかけだった高雄&台南旅行記をスタートさせたかったが、後回しにする。 (写真は今回の弾劾を求めるデモで…

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    campy 2010/09/10
    "30歳くらいのときにテストに出るよ。"気になった。
  • 親の目線について - レジデント初期研修用資料

    謝罪というのはもちろん、来は失敗と紐付けられないといけないのだけれど、謝罪という行為、あるいは誰かから怒られるという状況それ自体が、問題の解決と紐付けられている人というのが、たぶん社会には、一定の割合でいるんだろうと思う。 昔は怒られた 小学生の頃は、怒られることというのは「みそぎ」になっていた。酷い嘘をついて、なにかをごまかして、それがばれたら、とりあえずそこいらにいる大人から怒られて、泣かされたら、両親はそれで許してくれた。問題は全然解決されていないんだけれど、そこから先のことは、大人が考えてくれた。 子供の頃は、周りを見渡せば「雷オヤジ」という役回りの人がいて、子供を叱って、殴るふりして、子供が怖がって首をすくめたら、ガハハと笑って、問題はそれで終わったことになった。 子供というのはけっこうしたたかだから、「ガハハ」が3回も繰り返されたなら、誰もが手段としての嘘泣きを獲得できる。頭

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    campy 2010/05/10
  • ネトウヨが実在してようがしてなかろうが、よくわからんことが一つだけある。

    なんでヤングな彼らは「ポスティング」なる行為に走ったのだろうね。 だって、すんげぇ泥臭くてうざったいイメージあるじゃん。いかにも若者が「安保時代のバカサヨじゃないんだからwwww」とか言って嘲笑しそうじゃん。 ヾ(゚ω゚)ノ 郵便受けはかわいい。 ま、それはさ、ともかく。 フツーね、郵便受けン中に自分が想定していた以外のモンが入ってたら不快に思うじゃない? 思わない? や、そういう人はそういう人でいいんだけど。すいません。しかし、俺は「うわっ」、ってなっちゃうわけ。で、内容を一瞥すらせず、デリヘルの型番不明なちっこいチラシと一緒にさ、ストレートにゴミ箱に突っ込んじゃうの。そのゴミ箱ってのがさ、マンション側が用意した迷惑チラシ用のヤツなんだけど、覗いてみたらまたそういうビラで溢れかえっちゃってんのよ。選挙中ずっと。ウヨサヨ自民公明民主社民共産幸福実現生長の家その他その他問わず。 で、思ったわ

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    campy 2010/04/05
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    森羅万象2024ベスト 毎日更新できませんでしたねぇ…… ぜんぶ夏が悪い 10月くらいから2024年ベストを作ろうとメモってたのをようやく解放できそう。 ベストコスメ買ってよかったものベスト、とか分けよっかなとも思ったけどしゃらくせえのでもうすべてを解放します。 ここはすべての夜…

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    campy 2010/02/25
  • ポール・クルーグマン "White Collars Turn Blue"(日本語訳)

     ホワイトカラー真っ青 White Collars Turn Blue ポール・クルーグマン 山形浩生訳 読者への註。この文は、ニューヨークタイムズ誌の100周年記念特別号のために書かれた。このとき与えられた指示というのは、これがいまからさらに100年後の記念号用の文だと思って、それまでの過去1世紀をふりかえって書いてくれ、というものだった。 過去をふりかえるときには、いろんなことを大目に見るよう心がけないとね。20世紀末の観察者が、来る世紀についてすべてを予言できなかったといって責めるのは、不公平ってもんだ。長期的な社会予測は、今日でもまだ厳密な科学とはいいがたいし、1996年には現代の非線形ソシオエコノミクス創始者たちは、まだ名もない大学院生にすぎなかった。それでもその当時ですら、経済的な変化を駆動する大きな力が一方ではデジタル技術の絶え間ない進歩で、一方ではそれまでの後進国へ経済発

  • パゾリーニ映画鑑賞の試みーソドムの市 その1

    the one and only PIER PAOLO PASOLINI !! パゾリーニ映画鑑賞の試み~ソドムの市 その1 -なにごとも規範に則って行うべきだ イントロ。またはスカトロ? さて、今回の「観賞の試み」は映画史上類をみない阿鼻叫喚地獄絵巻が繰り広げられるパゾリーニ最後の傑作<ソドムの市>についてです。 この空前絶後の傑作を「観賞」するにあたり、自分の力不足を再認識するといいますか、不甲斐なさを痛感するといいますか、なんとか考えをまとめているつもりでいながら逆に頭からこの映画にバリバリと喰われてしまう、それもまた快感だ、などといったマゾヒスティックな気持ちで一杯なのです。 この映画をどう見るか? そんなことはもはやどうでもいいことだ!と投げ出したくなることしばしばなのですが、しかし、特に日映画批評においてこの映画がまともに取り沙汰されていない実態、また海外においても私の知る

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    campy 2009/08/17
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