警視庁によりますと6日正午すぎに中山さんの事務所の関係者から110番通報があり、警察官が駆けつけたところ、東京 渋谷区の自宅の浴室で亡くなっているのが見つかったということです。 浴槽内で前かがみの状態で見つかったということで、警視庁は入浴中の事故や病死の可能性があるとみて、詳しい死因を調べることにしています。
![俳優で歌手の中山美穂さん死去 54歳 東京の自宅浴室で | NHK](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c75a6968c82dbd4e8ba1acc7ad68752dccfaea0a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffanyv88.com%3A443%2Fhttps%2Fwww3.nhk.or.jp%2Fnews%2Fhtml%2F20241206%2FK10014660481_2412061503_1206150705_01_02.jpg)
数多くの映画やテレビドラマで活躍し、全国各地を自転車で回る旅番組でも親しまれた俳優の火野正平さんが今月14日に亡くなりました。75歳でした。 火野さんは東京出身、12歳のころから劇団「こまどり」に所属し、子役として活躍しました。 1973年に放送されたNHKの大河ドラマ「国盗り物語」で下克上の乱世を生き抜く秀吉の役を演じて、一躍、注目され、翌年には映画での主演デビューも果たしました。 その後は、数多くの映画やドラマに出演し、NHKでは2014年に放送されたドラマ「55歳からのハローライフ」で主人公の中学時代の親友でホームレスになっていた男性を好演しました。 また、NHKのBSで放送中の旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間にわたり“旅人”として全国各地を回りました。 番組は、視聴者からの手紙に書かれた思い出の場所を自転車に乗って訪ねるもので、手紙に込められた思いに寄り添う火野さんの味わ
映画「釣りバカ日誌」シリーズやNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」など、数々の映画やドラマで幅広い役柄を演じてきた俳優の西田敏行さんが17日、東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、その場で死亡が確認されました。76歳でした。 目次 故郷・福島の復興に関わる 《芸能界から悼む声》 西田さんは福島県郡山市出身で、1970年に劇団青年座に入団、その後、映画やテレビで人間味あふれる役から暴力的な悪役まで幅広く演じる俳優として活躍しました。 1993年に公開された山田洋次監督の映画「学校」では、夜間中学の生徒をまとめる教師を演じ、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に選ばれました。 1988年から合わせて22作が公開された映画「釣りバカ日誌」シリーズでは、釣りをこよなく愛するサラリーマン、ハマちゃんを演じ、三國連太郎さんが演じたスーさんとのとぼけた掛け合いが人気を集めました。 また、NHKの大河ド
テレビの料理番組に数多く出演するとともに「食育」の必要性を訴えてきた料理評論家の服部幸應さんが、4日、理事長を務める料理学校で倒れ、その後、亡くなりました。78歳でした。 服部さんは東京出身で、大学を卒業したあと、父親が創立した料理学校「服部栄養専門学校」の講師を務め、31歳の時に校長に就任しました。 栄養士や調理師の育成にあたるかたわらテレビの料理番組の監修に携わったほか、解説者や審査員としてみずから出演して、豊富な知識を生かした語り口で広く知られる存在となりました。 また、「食育」の必要性を訴えて2005年の「食育基本法」の成立に尽力し、その後は農林水産省の「食育推進評価専門委員会」の座長を務めるなど、長年にわたって国内での普及に取り組みました。 4年前には旭日小綬章を受章し、このときの会見で「日本の教育は知育・徳育・体育という3つの柱でできていますが、それに食育が加わるとバランスが取
山藤章二さん(撮影・岡田晃奈) この記事の写真をすべて見る イラストレーターで稀代の風刺画家であった山藤章二さんが9月30日、老衰で亡くなった。87歳だった。葬儀は未定。週刊朝日で「ブラック・アングル」を45年、「似顔絵塾」を40年にわたって連載した(いずれも2021年終了)。「ブラック・アングル」などで様々な作風を駆使した風刺画やパロディー画を発表し、「現代の戯れ絵師」を自称していた。 【写真】小沢昭一さんが「元の絵が思い出せない!」と言った強烈なブラック・アングルはこちら 遺族によると、最近は次のように過ごしていたという。 「ブラック・アングルの連載を終えた後は、締め切りのない日々を穏やかに過ごしていました。昨年の阪神優勝も大変喜んでいました。最愛の妻と、毎日一緒にテレビを見て、茶飲み話をし、時々手を繋ぎ、本当に仲の良い夫婦でした。昨年末、妻に先立たれてから急に元気がなくなったように感
「虎ハンター」の異名で新日本プロレス、全日本プロレスのジュニアヘビー級で活躍した元プロレスラーの小林邦昭さんが亡くなった。68歳だった。 新日本プロレスの先輩で「ドラディション」の藤波辰爾は「彼は、ちょうど新日本プロレスが旗揚げした1972年に入門してきました。昨年は木戸修さんが亡くなり、草創期のメンバーがいなくなって寂しくて言葉もないです」と声を落とした。 小林さんの印象を「僕と同じで格闘技の経験がなくプロレス界へ入ってきたんですが練習はまじめで熱心。性格は派手じゃなくて地味でシャイな男でした」と振り返った。 タイガーマスクとの激闘で一気にスターダムに乗ったが、覆面を破るなどの反則攻撃に藤波は「彼の性格から言えば、あんなことができる男じゃなかった。ただ、あの時は積極的に動いて『小林にもこんな一面があるのか』と驚いた思い出があります」と回想した。 藤波と小林さんとの対決と言えば、1984年
「虎ハンター」小林邦昭さん死去…長州力、武藤敬司、棚橋弘至、中邑真輔…レジェンドレスラーが「X」で相次いで追悼…「昭和の星がまた流れて行きましたね」 「虎ハンター」の異名で新日本プロレス、全日本プロレスのジュニアヘビー級で活躍した元プロレスラーの小林邦昭さんが亡くなったことが10日、分かった。68歳だった。 昭和から平成にかけ、トップレスラーとして活躍した小林さんの訃報を受け、引退したレジェンド、現役レスラーが「X」(旧ツイッター)に追悼の思いをポストしている。 新日本プロレス時代に「維新軍団」、さらにはジャパンプロレスでも行動を共にした長州力は「昭和の星がまた流れて行きましたね 最後まで本当に頑張ってました。三平ちゃん、ありがとう 合掌」としのんだ。 新日本プロレス時代の後輩の武藤敬司は「新日本プロレスに所属していた時の先輩、小林邦昭さんが亡くなられた。ご冥福(めいふく)をお祈りいたしま
漫画原作者の坂田信弘先生が、76歳にて永眠されました。 作家の坂田信弘(さかた のぶひろ)先生が、2024年7月22日に永眠されました。76歳でした。なお、ご葬儀は親族のみで執り行われました。「ビッグコミックオリジナル」で『風の大地』、「週刊ビッグコミックスピリッツ」で『奈緒子』、「週刊少年サンデー」で『DAN DOH!!』などをご執筆いただきました。『風の大地』の最終章も全英オープンであり、旅立たれた日も今年の全英オープンが閉幕した時でした。風の大地に生きる御方でした。先生の真摯な生涯を誇りとし、生前のご功績に対する心からの敬意とともに、謹んで哀悼の意を表します。 ビッグコミックオリジナル編集部 【坂田信弘先生略歴】 プロゴルファー。漫画原作者。坂田ジュニアゴルフ塾塾長。1947年10月11日、熊本県生まれ。京都大学中退後、1969年より自衛隊に入隊、1971年任期満了で除隊。同年より栃
Published 2024/06/14 20:34 (JST) Updated 2024/06/14 23:48 (JST) 米国の児童文学の名作「エルマーのぼうけん」の著者ルース・スタイルス・ガネットさんが11日(現地時間)、米国で死去した。100歳。日本の関係者が明らかにした。日本語版のシリーズ累計発行部数は約780万部に上る。 1923年、ニューヨーク生まれ。48年、動物たちに捕らえられていた竜の子どもを、男の子が機転を利かせて助ける物語「エルマーのぼうけん」を刊行し、各国で人気に。続編「エルマーとりゅう」「エルマーと16ぴきのりゅう」と合わせた3部作は63~65年に邦訳版が刊行され、読み継がれてきた。 昨年から翻訳版刊行60周年を記念して「『エルマーのぼうけん』展」が日本各地で開かれている。
桂ざこばさん、本名、関口弘(ひろむ)さんは、昭和22年、大阪市に生まれ、昭和38年に15歳で、のちの人間国宝、三代目桂米朝さんに入門しました。 昭和63年に二代目「桂ざこば」を襲名し、その後も関西を中心にテレビやラジオにも出演し幅広く活動しました。 上方落語協会に所属し、理事や相談役を務めたほか、平成20年には大阪 西成区に寄席の「動楽亭」をみずから設立し、上方落語の振興に尽力しました。 平成29年には文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しています。 平成29年に脳梗塞で入院しましたが、その後復帰して、寄席や落語会を中心に活動し、ことし2月にも高座に上がっていました。 所属する米朝事務所によりますと、ぜんそくのため、12日、吹田市の自宅で亡くなったということです。 76歳でした。 米朝事務所は「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした。お世話になった関係者の皆様、応援し
康太は昨日、天国に旅立ちました。 土曜日の落馬後からずっと意識のない状態で、何とか頑張ってほしいと願ってはいましたが、正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況でした。 そんななか、頑張って心臓を動かし続け、家族や友人たちが気持ちの整理をするため、そして、それぞれがお別れを言うための時間を作ってくれた康太。優しい康太らしい最期だったと思います。 明るくて、本当にいいヤツで、弟であると同時に大事な友達のような存在でした。もう笑って冗談を言い合えないこと、レースで競い合うことができないこと、とても寂しいです。 ですが、いつまでも悲しんでばかりはいられません。普段からよく話をしていたので、僕には康太の気持ちがよくわかります。 まだ35歳。これからも続くはずだった人生で、まだまだやりたいことがあったのは間違いないです。ただ、ここまでの人生にはまったく悔いがなかったと思いますし、大切な家族のために、
マンガ雑誌で連載中の「セクシー田中さん」などで知られる漫画家の芦原妃名子さんが28日から行方不明になり、29日、栃木県内で死亡しているのが見つかりました。自殺とみられています。 捜査関係者によりますと28日午後、漫画家の芦原妃名子さん、本名・松本律子さんの関係者から行方不明者届が出され、警視庁が行方を捜していましたが、29日、栃木県内で芦原さんが死亡しているのが見つかったということです。遺書のようなものも見つかっていて、現場の状況などから自殺とみられています。 芦原さんの作品はたびたびテレビドラマ化され、現在、マンガ雑誌で連載中の「セクシー田中さん」は去年10月から日本テレビ系列でドラマ化されていました。 先週26日(金)には、芦原さんは自身のSNSでドラマの9話・10話の脚本を自ら担当した経緯を明かしていましたが、28日になって経緯のコメントを削除し、「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめ
t_1984 @tt1984 八代亜紀さん。一回フジロックで見てた。出てきた時はみんな笑ってたけど歌い出した瞬間にグリーン全体が「やべぇ、これ笑えねぇよ。目と耳に焼き付けなきゃいけないヤツだ」ってムードになったな。 pic.twitter.com/DyYJferYuM 2024-01-09 19:16:03
演歌歌手八代亜紀さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが9日、分かった。八代さんの公式サイトで発表された。73歳。熊本県八代市出身。 膠原病の一種で指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症し、昨年8月に活動休止することを、公式サイトで発表していた。 所属事務所によると、8月下旬に本人から体調不良を訴える報告があり、複数の病院で検査を行い「膠原病」と診断され、闘病を続けていた。 活動休止について八代さんは「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!」とコメントしていた。 1971年(昭46)にデビューし、73年に出世作「なみだ恋」を発売。その後「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「舟唄」など数々のヒット曲をリリー
元悪役レスラーのキラー・カーンさんが急死…本名・小沢正志さん、76歳、動脈破裂、経営する居酒屋で勤務中 元プロレスラーのキラー・カーンこと小沢正志さん(店主・歌手名義はキラーカン)が12月29日午後10時4分に動脈破裂で死去したことが30日、分かった。76歳だった。関係者によると東京・西新宿で経営する「カンちゃんの人情酒場」の営業中にカウンターで意識を失い、救急搬送されたという。 新潟県出身の小沢さんは大相撲の春日野部屋(幕下・越錦)から1971年にプロレスに転向し、1980年代に195センチ、140キロの“蒙古の殺し屋”として“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)や“超人”ハルク・ホーガンと抗争し、日米でメインイベンターとして活躍した。1987年に引退し、新宿区で「居酒屋カンちゃん」を開店。歌手としては2005年に「ふるさと真っ赤か」(日本クラウン)で歌手デビューし、「新宿三百六十
新日本プロレスで活躍し「いぶし銀」として知られた元プロレスラー木戸修さんが死去したことが14日、分かった。11日の午後10時過ぎ、神奈川・横須賀市内の病院で亡くなった。73歳だった。同日、容体が急変し、自宅から救急搬送されて息を引き取った。 関係者によると、数年前から、がんを患っており、抗がん剤治療などを受け続けていたという。 娘にはツアー1勝のプロゴルファー木戸愛(33)がいる。遺族の意向で、通夜・葬儀は近親者のみで執り行う。 68年10月に日本プロレスに入門し、69年2月にデビューした木戸さんはアントニオ猪木、藤波辰爾らと日本プロレスを退団し、72年3月、新日本の旗揚げメンバーとして参加。75年6月に藤波とともに海外修行でドイツに渡って8カ月間、参戦。その後、米国で「プロレスの神様」カール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。帰国後はグラウンド(寝技)テクニック、関節技を中心としたファイ
人生の機微を端正に描いた小説や、エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の伊集院静さんが、24日、亡くなりました。73歳でした。 伊集院さんは、1950年に山口県に生まれ、都内の大学を卒業後、広告代理店の勤務などを経て、1981年に作家デビューしました。 地元・山口県などを舞台にした自伝的長編小説「海峡」3部作や、瀬戸内海の島の小学校を舞台に教師と子どもたちの交流を描いた「機関車先生」など、人生の機微を端正な筆致で描く小説を数多く発表し、1992年に短編集「受け月」で直木賞を受賞しました。 その後も自身の人生観や仕事観をつづるエッセー集、「大人の流儀」シリーズがベストセラーとなるなど精力的に活動を続けてきました。 また、作詞家としても活躍し、近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などのヒット曲を手がけています。 プライベートでは、1985年に当時の妻だった俳優
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