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犯罪被害に関するaozora21のブックマーク (11)

  • 自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言

    先週の金曜日、飲み会帰りのタクシーで60歳くらいの運転手さんと、熊の3歳の女の子が20歳の大学生に命を奪われた事件の話になった。 「あれは親にも責任がありますよ。まだ3歳なんだから、親も目を離したらいかんですよ。トイレに行かせるのだって、ちゃんと遠くからでも見ておかないと」 大概の場合、僕はこういうときに「そうですねえ」とか曖昧に頷いてやり過ごしてしまうのだけれど、お酒が入っていたこともあり、「そんなふうに常に見張っておけっていうのはおかしいし、どんな親にだって、『ちょっと油断してしまう瞬間』はあると思います。それで責めるのはあんまりでしょう」と反論して、車内はやや気まずい空気になってしまった。 「人生の先輩」として、「そういうときでも、ちゃんと見ているのが親ってもんでしょう?」というのは、確かに「正論」のようにも思えるけれど、僕はそこまで完璧に自分の子どもを見張っておくことができるだろ

    自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言
    aozora21
    aozora21 2011/03/07
    切断操作という感じもする。運だったら我が身に起こる可能性もあるわけだから…怖くてやりきれないですからね。我が身に起きたときに自分を責めてしまうとしたら不幸なこと…
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「それって陰謀論じゃないですか?」闇の国家「ディープステート」を信じる著名人一人一人に会ってみたら…どうなった?

    47NEWS(よんななニュース)
  • 原田正治「赦せないからこそ、会いに行く」(『くらしと教育をつなぐ We』) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    昨年の7月に、私が司会をさせていただいたイベント「赦す権利〜被害者救済と修復的司法の可能性〜原田正治さんを囲んで」*1の記録が活字化されました。「赦せないからこそ、会いに行く」というタイトルで、『くらしと教育をつなぐ We』に、原田さんの講演部分が掲載されています。なかなか一般書店では手に入りにくい雑誌ですが、フェミックスのウェブサイトから通販で買うことができいます。 Femix information website http://www.femix.co.jp/ 原田さんは犯罪被害者遺族です。弟を殺され、過酷な状況を生きてこられました。加害者の長谷川さんは、裁判によって死刑判決をうけます。原田さんは、長谷川さんを深く憎んでいましたが、ある日、思い立って面会に行きます。その対話の中で、快復の予感を得て、面会を続けたいと考えます。しかし、死刑が確定となり、長谷川さんとの面会を阻止されます。

    原田正治「赦せないからこそ、会いに行く」(『くらしと教育をつなぐ We』) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • むしろ被害者は「私は悪くない」とゆうべき - masudamiの日記

    人生の短い春において何度かレイプを含めた犯罪被害の憂目に合っているが、警察に行ったのは通り魔らしき人に刃物で服をザックリと裂かれて、さすがにこれでは往来を歩けないなと自分で判断した時だけだった。その一回もちょっと血が出ていたらしく調書を取られそうになったので慌ててジャケットだけを借りて逃げた。警察を忌避した理由は、被害者は女性として抑圧されているから…ではなく、ポケットによく分からないモノが入っていたからだ。大体税金も年金も一切払っていないし、警察に頼れる筋でもない。 しかし、ポケットに何が入ってようが税金を払ってなかろうが「治安が悪いところに住んでいるから」「ワルイコトをしているから」「薄着だから」「夜歩くから」「一人で歩くから」「防犯に熱心でないから」などなど、被害に遭った責任の一端が私にあるという第三者からの言及を、私は一切否定する。当たり前だ。悪いのは私に暴力を振るった人に決まって

    むしろ被害者は「私は悪くない」とゆうべき - masudamiの日記
    aozora21
    aozora21 2009/12/23
    この私も世間の一部であるから。世間というものの捉え方で違ってくるのではないでしょうか。
  • 事件の賠償10年支払いなし、賠償の時効停止認められたが… : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    覚せい剤を注射され、ショック死した少女の遺族が、2人の男を相手取り、約5500万円の損害賠償の時効が来ないよう求めた訴訟の判決が水戸地裁(都築民枝裁判官)であり、全面的に認められた。 最初の訴訟から10年が経過したが、賠償金は1円も支払われていない。事件の被害者が、損害賠償請求を簡便に申し立てられる損害賠償命令制度も始まったが、被害者救済への壁はまだ高い。 事件は1996年8月に起きた。当時16歳だった茨城県桜川市の女性は、無職(事件当時22歳)と土木作業員の男(同20歳)に車に連れ込まれた。覚せい剤を注射され、死亡。遺体は同県石岡市の加波山山中に遺棄された。強姦(ごうかん)致死、死体遺棄罪などに問われた無職の男には懲役14年、土木作業員には懲役9年の実刑判決が下された。 両親は判決後、娘への慰謝料などを求める損害賠償訴訟を起こし、水戸地裁土浦支部は98年9月、2人に対し計約5500万円の

  • http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008052900828

  • 感情的なものは理性的である - 犯罪被害者の法哲学

    犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 2月15日、地下鉄サリン事件等の実行犯で殺人罪等に問われたオウム真理教元幹部・林泰男被告の上告審の判決があった。最高裁は林被告の上告を棄却し、これによって死刑判決が確定することとなった。林被告は、サリン入りの袋を他の幹部よりも多く3個も持ち込み、それによって地下鉄日比谷線においては、事件のあった路線の中で最多の8人の死者が生じている。 死刑存置論と死刑廃止論の争いが机上の空論にならないためには、何よりも正面から「死」を見つめなければならない。そして、逃げずにこれを見つめるには、何よりも被害者の遺族の声を聞かなければならない。生死の問題であり、生死の問題でしかない死刑を語るに際して、遺族から逃げ回って死刑廃止条約の条文を叫んでも全く支持を集めることができない道理である。「

    感情的なものは理性的である - 犯罪被害者の法哲学
  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 天国からのラブレター 本村洋・弥生著

    恋愛というのは人生の恥部であり、またブラックホールであると思う。なぜなら人は、とくに女は、恋愛をするとポエムを書く。抗い難いポエム欲が湧いてきて、ついつい綴ってしまうのだ。そう、ポエムを。詩ではなく、ポエムを。これはもう事故のようなものだろう。今までさんざんポエマーを嘲笑してきたわたしだが、そんなひねくれ者だって例外ではなかった。荒んだ人間も恋愛中のポエム欲には逆らえない。だから書いた。そうポエムを。こんなわたしがポエムを!手紙やメールや口頭で、わたしは過去、恥ずかしいポエムを吐いてきた。仕方がないではないか。だって恋をしていたのだもの。いかなる女もあの湧き上がるポエム欲には抗えない。どんなにとりすました女だって、きっと裏ではあんなポエムやこんなポエムを書いているはず。恋とは、ことほどさように滑稽で不細工で、気色が悪いものだ。 「天国からのラブレター」は、そんな人生の汚点、決して人様には見

    aozora21
    aozora21 2006/10/03
    死者の人権について。手紙を公開するなんて、酷い。デリカシーがないなあ…。彼の執念というのはそういうエゴイスティックな愛にあるんだろうか。それとも、最愛の人を失った悲しみがそうさせた?
  • 23mmはてな日記 -死刑制度を廃止した方がいい本当の理由を妄想してみた。(妄想だよ、妄想)

    「死刑制度は廃止した方がいい」と言うと、「殺人事件の被害者やその遺族の気持ちになって考えてみろ」という反論を受けることがあります。というか、僕は直接言われたことはありませんが、メディアの論調などを見聞きすると、どうもそういうことらしいです。 なので、その立場になって少し考えてみることにしました。 とはいえ、結局のところ、僕には想像することしか出来ないので、当のところは実際にそういう立場に置かれないと分からないことだ、とは思っています。が、それで片付けちゃうと「想像力が欠如した奴だ」と言われてしまうだけでしょうから、こうして書いてみることにした、と。 最初に断っておきますが、以下の文章には、不愉快で気分が悪くなるような内容が含まれている可能性がありますので、そういうものを読みたくないという方は、読むのをご遠慮下さい。 ①自分が殺された場合 いきなりですが、これはちょっと無理。想像できないで

    23mmはてな日記 -死刑制度を廃止した方がいい本当の理由を妄想してみた。(妄想だよ、妄想)
    aozora21
    aozora21 2006/07/08
    身内が殺人者になったら、という視点を持つことは必要だと思う。
  • 命にかけがえがないのなら - uumin3の日記

    生命というものはなくしてしまえば取り返しがつかないのだから、刑罰としての死刑は止めようという言い方をされる方がいます(あくまで死刑廃止論の一つの説(部分)ですが)。一人一人の命の価値が歴史的にみても相当に重視されるようになってきた昨今の近代社会において、これは一定の説得力を持つでしょう。 しかし何を以っても代え難いのがその固有の生命の価値であってみれば、「その命を返す」ことができない以上、単純に殺人(もしくは致死)の償いというものが不可能だという言い方にも同様の説得力はあります。そしてこの考え方は、厳密に論理的というよりもやや感情的に「応報」の原理をもって「殺した者は死ぬべきだ」という考え方につながるでしょう。他の形での償いに意味がないと思われれば、どうしても命には命を以って償う以外ないということにもなると思われます。 ただし、刑罰としての死刑はきわめて社会的な制度でもあり、被害者の被害感

    命にかけがえがないのなら - uumin3の日記
    aozora21
    aozora21 2006/07/06
    『 性善説を唱えない者は(建前としても)良くないという風潮から、性悪説で考えてもいいんだという転換が日本社会に来ているのではないでしょうか。』
  • http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/702

    aozora21
    aozora21 2006/06/05
    死刑制度の存続是非の前に被害者の慰撫が最重要課題というご意見に同意
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