マツコ:私 結構 言っちゃう方なのよ。でも それはじゃあ 本当に その人にオチを求めてるかっていったらそうでもなくて。なんとなく なんか ダラーってしてしまった空間っていうのがあるわけじゃない?とめどない話をされて。その時にさ 「ちょっと あんたオチは?」って言う事でなんか 丸く収まったりしない? 有吉:はいはい… ある。それね それは よくわかるんだよ。それは なんか…。それで 「いやいやなんにもないんですよ アハハ」で…。 マツコ:「やっぱ ないわ」みたいな。 有吉:…っていう会話だったらいいのよね。すごい 僕は 建設的なツッコミというか… だと思うけど。こいつらがやってるのは本当に なんかもうただ これ言いたいだけなのよ。芸人のまねして なんか人を追い込んでやろうみたいな。山崎がやってるでしょ「からの?」みたいな。あれは だって…盛り上げるためのやつだけど。その使い方が もう間
新入社員時代、もともと伝えることが得意でなかったにもかかわらず、コピーライターとして配属され苦しむ。連日、書いても書いてもすべてボツ。紙のムダということで当時つけられたあだ名は「もっともエコでないコピーライター」。ストレスにより1日3個プリンを食べ続ける日々を過ごし、激太りする。それでもプリンをやめられなかったのは、世の中で唯一、自分に甘かったのはプリンだったから。あるとき、伝え方には技術があることを発見。そこから伝え方だけでなく、人生ががらりと変わる。本書はその体験と、発見した技術を赤裸々に綴ったもの。 本業の広告制作では、カンヌ国際広告祭でゴールド賞を含む3年連続受賞、など国内外55のアワードに入選入賞。企業講演、学校のボランティア講演、あわせて年間70回以上。郷ひろみ、Chemistryなど作詞家として、アルバム・オリコン1位を2度獲得。『世界一受けたい授業』等テレビ出演多数。株式会
例えば会社で部下に「コピーをとって」などと用事を頼んだときに、部下から「ありがとうございます」と言われたら、どう感じるでしょう。 日本語の使われ方を調査・研究しているNHK放送文化研究所によりますと、本来は感謝の気持ちを表す「ありがとうございます」ということばの、これまでと違った使われ方がこのところ目立ち始めているということです。 もともと「ありがとうございます」は、「有り難い」から生まれたことばです。 「自分の希望がかなうことは、なかなか『あるものではない』」という気持ちが「有り難い」になり、それをかなえてくれた人に「ありがとう」と伝える、本来は相手がしてくれたことへの感謝の気持ちを表すことばなのです。 ところがこのところ、恩恵を受けた(与えた)とは考えにくい場面で「ありがとうございます」が使われるケースが、目立ち始めているということです。 例えば、上司)「これ、10部コピーをとっておい
「旦那くん」「娘ちゃん」という人たち 子供や夫の事を変な呼び方する人いませんか? 例えば 夫の事を「旦那くん」 赤ちゃんの事を「ベビちゃん」 自分の子供を「娘ちゃん」「王子」「姫」 などです。 私はこういった呼び方にすごく違和感を感じてしまいます。 学生時代の友人が、結婚・出産し、SNSなどにつぶやきや日記を書くことがあるのですが、「今日は旦那くんと娘ちゃんとで○○に出かけました~!」といった様な事を書くんです。見た瞬間「えーー…」と思いました…。 知恵袋も含み、ネットを見ていても「はやくこいこい ベビちゃん♪」「うちの姫でーす♪」「今日は旦那くんとデート♪」などと書いている人をよく見かけます。 その度に私は萎えてしまうのですが(笑) 言葉が悪くて申し訳ないのですが、正直バカみたい…と思ってしまいます。 今こういった言葉を使う人は多いのでしょうか?普通の言葉なのでしょうか? それともたまた
<プレゼンター> 山崎弘也(アンタッチャブル) <購入者> 秋元康、西川史子、水嶋ヒロ、森泉、おぎやはぎ 電話をかけるときに「もしもし」と「もし」を2回言う理由は、妖怪や幽霊を恐れる日本の風習に由来していると考えられています。 そもそも、「もしもし」の「もし」は「申します」の略語ですが、それを2回繰り返して言うのは、自分が妖怪や幽霊ではないと証明するためと考えられています。 それは、かつて日本では、妖怪や幽霊が人間に声をかけるときには、1声(1回)でしか呼ばないという言い伝えがありました。 そして、そのような妖怪や幽霊の1声に返事をしてしまうと、妖怪や幽霊に魂を奪われてしまうと考えられていました。 そのため、夜道などの相手がよく見えない状況で他人に声をかけるときは、自分が妖怪や幽霊ではないと証明するため2度繰り返して呼ぶのが礼儀でした。 明治時代でも地方によってはこのような風習が残っていて
【スクールカースト・語源・造語・研究・調査】【日曜民俗学】 上の「『当て勘』という言葉はよく出てくるが、よく考えると正体不明だなあ」という話に関連して。 スクールカーストという言葉が、どうも最近はすっかり市民権を得た・・・は言い過ぎでも、市民権を得つつあるなあ、というのが、自分の感覚的な実感。 とくにお堅い「WEBRONZA」では論考の見出しにまで取られていたっけ。 著者は松谷創一郎氏で、新著では章の見出しにも「スクールカースト」という言葉を使っているそうな。 http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20120827/p1 2012/08/27/Mon ■[another view]1991年のスクールカースト:映画『桐島、部活やめるってよ』公開&拙著『ギャルと不思議ちゃん論』出版記念 今月11日に吉田大八監督の映画『桐島、部活やめるってよ』が公開され、25日に拙著
女子中高生が選び、携帯電話でよく使う言葉に贈られる2012年の「女子中高生ケータイ流行語大賞」が5日、発表され、金賞には「てへぺろ」が輝いた。 〔フォト〕女子ゴルファーもラウンド中に「てへぺろ」 調査はモバイルサイト「@peps!」「Chip!!」を運営する株式会社ピーネストが実施。サイトを利用する女子中高生850人にウェブアンケート調査を行った。 金賞の「てへぺろ」は昨年の銀賞から晴れて1位に。声優の日笠陽子さんの持ちネタで、うっかりした時に笑ってぺろっと舌を出す仕草のことだ。ピーネストは「以前から使用されていたが、ソフトバンクのCMでトリンドル玲奈さんが使用したことで多くの人に浸透した」としている。 銀賞の「きゃわたん」も、昨年8位から大幅アップ。かわいいという意味で「たん」は特に意味はなく、音の可愛さから使用されているという。他に、やばい意味を持つ「やばたん」やつらい意味を持
印刷の日本語は、非常に質が高い。編集者や校正者によってチェックされているからだ。 それに対して、ネットの日本語は質がバラバラだ。書くことのプロでない一般人が日本語を書くので、どうしてもそうなってしまう。 かといって、お金をもらうわけでもない文章にそんなに手間はかけられない。自分で気をつけるのが精一杯だ。 ここでは、気をつける時*1に参考になるようなことを、「森のくまさんの謎」を例として、特に「漢字と平仮名の使い分け」を中心に書いてみる。 ここでは、解説記事などの実用文を想定している。 また、この記事は「森のくまさんの謎」のようなスタイルを身につけたい人を対象としているので、もちろん誰かに強制するつもりはない。 漢字と平仮名の原則 大きな原則として、「意味の重いところは漢字で書き、軽いところは平仮名で書く」というものがある。以下では、それを具体的に解説する。 形式名詞は平仮名で書く また、娘
今回は敬語の「させていただく」「させていただきます」の誤用問題について考えてみましょう。 インターネットで「させていただく」「させていただきます」を検索しますと「させていただく症候群」とか「させていただきます 誤用 乱用」といったキーワードが入った記事タイトルが多数見つかりました。「させていただく」「させていただきます」問題には、侮り難い深い病理がひそんでいるのかもしれません。 大辞泉は「させていただく」を以下のように説明しています。 させていただ・く 相手に許しを請うことによって、ある動作を遠慮しながら行う意を表す。「私が司会を―・きます」 また新語探検は、次のように解説。 させていただく 最近の若者に目立つことばづかい。もともとは、自分の行為を相手に許可してもらい、それによって相手に対してへりくだった気持ちを表すことばだが、最近では「私は○○高校を卒業させていただきました」とか「先生の
性教協の全国セミナーに向けての最後のあがきをしています。明日が広島での予行演習、それまでに一応仕上げなければなりません。 これまでの集大成でもありますが、私のだけでなく、友人たちの実践も取り込んでいます。小・中・高校それぞれでの実践です。友人たちにこれまで行った実践の資料をどさっと送って戴いて読んでいきました。 その中にこんな詩がありました。 ゲシュタルトの祈り わたしはわたしのことをする あなたはあなたのことをする わたしは、あなたの期待に沿うために この世に生きているのではない あなたも、わたしの期待に沿うために この世に生きているのではない あなたはあなた、わたしはわたし しかし、もし、機会があって わたしたちが出会うことがあれば それはすばらしいこと もし出会うことがなくても それはいたしかたのないこと フレデリック=パールズ(1893~1970) 参考文献 平木典子著『カウンセリ
5月23日は「キスの日」というのをご存知ですか? 日本で初めてキスシーンが登場する映画『はたちの青春』(松竹)の公開が、1946年5月23日に行われたことに由来しています。今でこそキスシーンなんて当たり前ですが、当時は衝撃的で、映画館は連日満員だったようです。キスシーンに挑んだ役者さんも、ガーゼで口を覆い、決死の覚悟で撮影に挑んだとか!? そこで今回は、日本のキス文化について掘り下げてみたいと思います。 日本にはキスの表現がたくさんある キスはもともと外国の文化と思うかもしれませんが、そんなことはありません。古くは平安時代の日本の文献にも、キスに相当する言葉が存在しています。そして、日本には数多くのキスの表現が存在していました。 ●「口吸う」 平安時代に使われていたキスを表わす言葉です。 ●「口吸い」 こちらは室町時代ですが、戦国時代、江戸時代にも使われていますので、キスを表す定番の言葉だ
NHKのブラタモリが好きでよく見ている。 東京近郊の土地探訪という番組テーマ自体も好きだけれど、そこに登場する「その土地(あるいはテーマ)の古い話題に詳しい人」にとても心惹かれている自分がいる。日常的には単なるオタク扱いされているだけの人かもしれないなと思わないこともないが(笑)、実に生き生きとその土地(あるいはテーマ)に対する愛情をダダ漏れさせながら知的に語る姿には、ただただ幸せのおすそわけをもらっているありがたい気持ちのみが生まれるのである。 さて、先日のブラタモリでは「江戸の盛り場〜吉原編〜」というテーマを扱っていた。そこに登場した吉原の研究者(本来は日本の近世文学その流れで吉原文化にも詳しい)である渡辺憲司さんという方は、とても愉快で、実に楽しげに風俗歴史を語り、その語り口からは活き活きとした当時の様子が浮かんでくる素敵な専門家だったのである。紹介では立教新座高の校長先生ということ
本当にやる気がある人なら、このくらいがまんできるはずだ。 本当に賢い人なら、このように行動するはずだ。 といったような、要するに「本当に○○だったら、△△できるはずだ(××しないはずだ)」という言い回しをしばしば耳にすることがあるけれど、これがかねがね大キライだった。 「△△できないかぎり、本当の○○じゃないんだよ」 という狭量さ、押しつけがましさを感じるからだ。 この言い回しがキライすぎるので、いろいろと悪口を考えてみたのだけれど、そもそも「本当にやる気がある」とか「本当に賢い」ってどういうことなんだろう。 その状態こそが「本当」であると誰が決めたのかといえば、それは主張している当の本人にすぎない。 確実にいえるのは、 「このくらいがまんできる人が、本当にやる気がある人だ(と私は思う)」 「このように行動する人が、本当に賢い人だ(と私は思う)」 程度のことではないのか
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。
プロフィールに「尊敬する人」欄を作るという行為が全く理解できない。 というわけでもないけれど、プロフィールの「尊敬する人」欄というのは、以下の理由により、情報としての価値が低い。また、それらは、後述の誤ったメッセージを読み手に伝えることがあるという危険性から、私は滅多に「尊敬する人」という用語を使わない。 第一に、普通のプロフィールの「尊敬する人」欄には、尊敬する理由が書かれていない。書かれていたとしても、凡庸で一般的な事のみで、情報として何の足しにもならない。 興味のある相手がラーメン好きであることが分かったところで相手の人となりについてほとんど分からない。これと同じで、「尊敬する人」を尊敬する理由なくしては、相手が坂本竜馬を尊敬していることが分かったところで、プロフィールが果たすべき「自らの人となりを伝える」という役割は果たされない。 第二に、「尊敬する人」が定型的すぎて、定義より他人
筆者は、今年の隠れた流行語の1つが「心が折れる」だったと思っています。震災後の苦労を語る場面で、多くの被災者がこの表現を使いました。例えば毎日新聞の2011年3月25日付けの記事は、津波被害に見舞われた福島県相馬市の様子を写真で記録し続ける地元の学校教諭を紹介。教諭が語る切実な言葉を掲載しました。「こんなことしたって無駄だという人もいる。でも寂しくて“心が折れそう”。何かしていないと不安なんだよ」(注:引用符は筆者が追加)。 こんな記事もありました。読売新聞の2011年4月24日付けの記事です。京都から仙台へ応援取材に入った記者が、仙台市内で余震に遭遇した時の記録です。「自分は単に『怖い』との単語しか思い浮かばなかったが、被災者は口々に『心が折れる』と言う。余震が起きれば、振り出しに戻されるかのように、わずかに見え始めた復興への希望が薄れてゆくのだ」。 このように最近、それまで維持してきた
◇自由な個人の連帯こそ 3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。 確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。 しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。 語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の
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